東京の一等地になぜ米軍基地があるのか?

2020年9月14日Slow News Report


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速水:Slow News Report 今日は東京都港区の六本木、赤坂。麻布界隈をイメージしながら聞いていただきたい。というのは、あの辺りに米軍の基地があるんです。ひょっとしたら知らない方も少なくないと思いますが、今日のリポートは「東京の一等地になぜ米軍基地があるのか」ということで、スタジオにお越しいただいたのはジャーナリストの布施祐仁さんです。布施さんは「主権なき平和国家 地位協定の国際比較からみる日本の姿」という本も出されていて、米軍と各国の地位協定について詳しいジャーナリストです。今日は、意外と都心東京の都心に米軍基地があるんだよという話をお伺いしたいんですが。


赤坂に米軍の基地が

布施:そうですね、東京都内には現時点で7箇所の基地があるんですけれども、いちばん分かりやすいのは六本木ヒルズの真下。場所でいうと、西麻布から外苑前くらいに抜けて行く途中に星条旗通りという道があるんですが、実はその通り沿いに米軍基地があるんです。赤坂プレスセンターという名前です。

速水:トンネルがある方向ですよね。六本木ヒルズの上から青山方面を見ると、ヘリポートありますよね。あれもプレスセンターの敷地ですか。

布施:そうですね。赤坂プレスセンターの基地の中に、青山公園の一部を切り取る形で米軍のヘリポートがあるんです。

速水:六本木というと、以前は自衛隊があり、さらに遡ると米軍基地があったという歴史があると思うんですが、未だにそこに残っているわけですよね。何に使ってるんですか。

布施:横田基地に在日米軍の司令部があるのですが、赤坂プレスセンターの近くには日本政府の省庁が集中してますよね。そういったところで会議があったりすると横田基地からヘリで来て、赤坂プレスセンターで降りてそこから移動するんです。最近で言うと、トランプ大統領が去年来日した時は、千葉のゴルフ場に行ったり、横須賀の視察に行ったりとか、あそこを拠点にヘリで移動したりしましたね。また、ヘリポートだけじゃなくて、陸、海、空、海兵隊とか様々な米軍の軍種の情報機関もあそこに入っていると言われています。そして、星条旗新聞という米軍の機関紙の極東支社が入っています。星条旗通りというのは、星条旗新聞社の社屋があるので星条旗通りとよばれているわけです。

速水:あそこはラーメン好きにとって非常に重要なストリートだし、かおたんラーメンがあるじゃないですか。僕も車で通りかかった時に、よくあそこに停めて食べに行きますが、その右側が、何かアメリカの施設なんだなというのは分かってたんですけど、あそこも基地なんですね。

布施:そうですね。ヘリポートがあるのが青山公園の一角なんですけれども、元々は別の場所にありました。六本木トンネルを掘るとき、実はあの真上が基地ヘリポートだったんですが、トンネル工事をするために一時的にヘリポートを移してほしいということで、臨時に工事期間中だけ青山公園の一部をヘリポートとして提供したんです。提供する際に、米軍との間で工事が終わったら元の場所に戻すという協定を結んで、そこに臨時ヘリポートを作ったんですが、1993年に工事が終わった後も協定を守らずにずっとあそこを使い続けているんです。

速水:このヘリポートは毎日定期便が離着陸しているそうですね。

布施:1日何便かはちょっとわからないんですが、主に横田基地との間で一日数回の定期便が行ったり来たりしているそうです。

速水:沖縄の話になってしまいますけれども、米軍の兵隊さんたちの中で新型コロナウィルスが蔓延していて、本国からウィルスを持ち帰ってそこから回ってしまうみたいな話がありますが、日本に来ている米軍の関係者はビザなく出入り可能なので把握しきれていないわけですよね。

布施:そうですね。日米地位協定で米軍人に関してはビザ、パスポートは必要ないとなっていますので、例えば飛アメリカから横田基地に行機で来て、横田基地からヘリで移動してきた場合に、全くそれを日本側としては把握できない形になっています。当然コロナに感染しているかどうかというチェックも日本側としてはできない形になっています。

速水:東京には赤坂のプレスセンター以外にも色んな米軍基地関連施設だった場所が過去現在も含めてあるという話なんですが、いくつか例を挙げていただいてよろしいでしょうか。


都内の米軍施設にはゴルフ場も

布施:かつて米軍基地だった場所で一番驚かれると思うのは、代々木公園がある場所に NHK がありますよね。あと国立代々木競技場、あれは東京オリンピックの時にできたんですけれども、実はあの辺一帯はワシントンハイツという全部米軍の施設だったんですね。

速水:去年の大河ドラマ「いだてん」で、オリンピックを東京で開催する64年の時にこれを交渉して返してもらおうじゃないかという話がまさに描かれていたんですが、たかだか50~60年前まであんな都心のど真ん中が日本じゃなかったって驚きですよね。

布施:他にも未だに米軍基地としてあるのが、多摩の方に米軍専用のゴルフ場とかボーリング場とか、そういう遊ぶ施設があります。

速水:ちなみに米軍が所有しているゴルフ場の芝生の綺麗なことに、沖縄に行くたびに驚くんですが、

布施:ああいう経費も全部日本側で払っているんですよね。

速水:いわゆる思いやり予算ですよね。芝生をきれいにするって結構お金かかると思いますけど、茅ヶ崎の海岸、えぼし岩も元々米軍の演習場で射撃目標なんかで使われていたという話もあるそうですね。

布施:そうなんです。僕は実家が茅ヶ崎ですけど全然 知らなかったですね。数年前に取材で知りました。1952年に日本は占領が終わって主権を回復したわけですけれども、それからさらに1959年までチガサキ・ビーチといって、陸軍とか海兵隊の、陸地に水陸両用車とかで上陸していくような訓練場になっていて、茅ヶ崎の名物であるえぼし岩なんかは形がわかりやすいので、そこを攻撃目標にして練習をしていました。

速水:一通メールを読みたいと思います。「家の近所には横田基地があります。本当ならこの時期横田基地は友好祭があり、年に1回基地の中に入れる貴重な日なのですが、今年はコロナで中止ということです。この横田基地、自衛隊航空総隊の司令部もあり、朝鮮戦争の後方司令部でもあり、フランス軍のテクニカルランディングの地でもあることはあまり一般の方には知られていません。この横田基地は村上龍の「限りなく透明に近いブルー」や片岡義男の「スローなブギにしてくれ」「ミッドナイトイーグル」などの舞台になっています。基地周辺にはアメリカ風のダイナーやレストランもあり、異国情緒あふれる街です」というメッセージをいただいています。六本木であるとか、原宿であるとか、石原兄弟の逗子、サザンの茅ヶ崎えぼし岩、みんな戦後の日本のポップカルチャーの若者の場所、町というのは米軍基地があった場所と結びついていますよね。布施さんは、もともと自分が生まれ育った場所が米軍の演習場だったという話は、地元の人たちはみんな当たり前に知っている話なんですか。

布施:多分ほとんど知らないんじゃないですかね。海は結構遊んでたんですけども、普通のビーチなんでまさかあそこが米軍の訓練場だったなんていうのは全く聞いたことなかったですね。この取材をして調べるようになってから知りました。

速水:他にもアメリカ軍が駐留している国、都市ってたくさんあると思うんですが、赤坂プレスセンターのように六本木のど真ん中、首都の一等地に米軍の施設があるみたいな事って他の国でもあるんでしょうか。

布施:米軍は世界中に基地を置いていますが、首都に基地があるというのは本当に特殊だと思います。僕が知っている例ではアフガニスタンとかイラクとか、まさに戦争をしてまだ時間が経ってない段階の国ですね。例えばドイツ、イタリアなんかにしても、戦争が終わってだいぶ経てば、やはり首都って色々商業的な活動に使いたいじゃないですか。だから地方にだんだん移っていくというのが普通だと思うんですが、いまだに日本みたいに戦争が終わって75年経っても都心のど真ん中にああいう米軍施設があるというのはちょっと特殊なんじゃないかなと思いますね。


東京上空も米軍の管理化にある

速水:“横田空域”という言葉、皆さん聞いたことあるかもしれませんが、東京の空中の部分も米軍の管轄になっているということなんですが、横田空域ってどういうものなんでしょうか。

布施:横田基地の上空だけではなくて、東京を中心に首都圏またはその周辺まで含めて一都九県の上空の航空管制権というものを未だに横田基地の米軍が行なっているんですね。米軍の管制を受けなければその区域には日本の飛行機であっても飛べないんです。米軍が管制するので当然米軍優先になるんですね。ですから、その区域を迂回する形で民間の航路を設定しているというのが今の状況です。

速水:そこを自由に通れるようになったら空の混雑みたいなものが全然違うよということですか。

布施:混雑もそうですし、実際に到着時間も早まります。時間が長くかかっているということは当然燃料もかかるので、航空運賃もそのぶん我々消費者が余計に払っているという状況なんですね。

速水:後半はなぜ日本には東京の都心に基地が残り続けているのかということについてお伺いしたいんですが、戦後占領が終わった1952年の時点で基地もどんどん解放していくはずだったんですよね。それがなぜ未だに残り続けているということになっているんですか。

布施:ドイツにせよ他の国々にせよ、戦争が終わって時間が経てば経つほど、徐々に人口密集地からは基地が無くなっていく、あるいは地方に移っていくという流れがあるんですけれども、日本の場合は都心のど真ん中に残ってしまった。それは一言で言うならば、政府がそういう事を強く交渉してこなかったというところかなと思います。いくつかチャンスはあったと思うんですね。最大のチャンスだったのは、一つはやはり冷戦の終結です。ドイツにしても冷戦を一つの機会にしてアメリカと交渉をして地位協定の改定につなげた。冷戦前はドイツでも米軍が低空飛行訓練というのをあちこちでやっていて、結構墜落事故とか騒音問題とか起こしていたんです。それを冷戦終結を機会に交渉をして、ドイツの法律を適用するという形にして、できなくさせたりしました。ですから、そこは大きなチャンスだったんじゃないかなと思います。

速水:そうですよね。米軍が駐留している理由としては共産主義国であるソ連や中国なんかがの進出を防ぐんだということ、朝鮮戦争やベトナム戦争の頃であれば、目の前で戦争が起こっているから米軍が来る理由というのは意味は非常に強くあったわけです。でも共産主義が崩壊して軍事的な状況が大きく変わった時、これだけの敷地が必要なのかというふうに交渉を持ちかけるチャンスだったわけですよね。それを逃してしまった。先ほどの六本木のヘリポートにしても、協定本来の約束を違えてずっと残してしまっているみたいなものって、細部の話じゃなくて全体もそうなっているよということですよね。

布施:やはり世界でもいちばん特殊なのは、首都の上空の管制権を米軍に渡してしまっているということ。これは安倍総理も数年前に国会で、これは占領時代の名残としか言えないから返還を求めていきたいと言っているんです。

速水:それは強く求めたんですか。

布施:国会では言ったんですが、結局何かやったのかというと何もやっていません。国会答弁では、戦争が終わってもう75年も経つんだからもう終わるのは終わらせたいと言いつつ、同時に北朝鮮や中国との安全保障上の問題もあるし、いざという時には米軍に守ってもらわなきゃいけないので、そういったことも考えなきゃいけないみたいな、ちょっと控えめな感じだったんですよね。


アメリカに譲歩させるには日本の民意が必要

速水:一方で、ずっと戦後政治に日米同盟を基軸に置くというところがあると、どうしても安全保障の面はアメリカに頼らざるを得ない中でなんとなく納得してしまっている部分がありますが、例えば沖縄が1972年に返還された時は、その前にベトナム戦争なんかがあって、当時70年の安保更新の反米デモみたいなものもあって、日本の国民感情としてはアメリカとの関係性を見直そうとか、非常に反米意識が強くあった。そんな中で、アメリカも沖縄を返さざるを得ない状況があったと思うんですよね。今自分たちにその感情があるかというと、都心の米軍基地返してもらわなきゃ困る!みたいな運動ってあまり聞かないですよね。

布施:そうですね。地元の港区なんかは継続的に毎年国に返還を求めたりはしているんですけれども、沖縄のような大きな運動が盛り上がっているかというと、そうはなってないですね。

速水:ちょっと無関心の部分があるわけですね。

布施:そもそもあんまり知られていないということもあるでしょうし、どうしても地位協定とか基地問題って沖縄の問題みたいなイメージがありますが、実は真上を見上げればそこは全部米軍が占領しているわけです。首都圏には何千万という人が住んでいるわけで、その人たちがその問題を意識して、やっぱりこれはおかしいじゃないかという声が上がっていけば、ドイツやフィリピンもそうであったように、アメリカは譲歩するんですね。沖縄返還がまさにそうだったと思うんです。

速水:韓国はちなみにどういう状況なんですか。

布施:韓国もずっと地位協定の下でいろんな環境問題であったり、事件事故の問題であったりが起こって世論が盛り上がって、その度ごとに地位協定の改定を重ねてきているんですね。だから地位協定ができてから一度も変えていないのって日本ぐらいなんじゃないですかね。アメリカが譲歩する時の要因というのはひとつで、世論なんですよね。ここで譲歩しないと本当にその国との関係が悪くなって、基地を置けなくなってしまうんじゃないかという時に譲歩するわけですよ。だから日本もそういう声が上がればいいと思うんですけれども、現状はあまりにも外交と安全保障がアメリカ一本槍になってしまっていて、アメリカに何とかしてもらわなきゃいけないから、多少はしょうがないか、みたいになっちゃっていると思うんですね。でもドイツ、フィリピン、韓国、他の国々にせよ、やっぱりアメリカと同盟を結びながら、ドイツであれば EU 、フィリピンでは ASEAN とか、地域の他の国との外交もやって選択肢を増やしているんですね。日本はあまりにもアメリカに比重が大きすぎるので、やっぱりアメリカに強く言えないし、でもこれってアメリカとの関係がうまくいかなくなっちゃうともう終わっちゃうので、やっぱりドイツやフィリピンのように選択肢を増やしていくということは必要なんじゃないかなと思います。

速水:交渉の基本ですよね。そことしか商談がないのであれば言われるがままの値段を払うしかない。だから他でもっと安く買えるんだよ、みたいな選択肢を増やすことですよね。

布施:そうですね。思いやり予算が来年3月で協定が切れて、またこれから5年間の交渉が始まるんですけれども、やはりそこでしっかり交渉をしていかないと、ふっかけてきた値段そのままになってしまいます。思いやり予算が膨らめば膨らむほど我々国民のための税金がだんだん減っちゃうわけなので、やっぱり関心を持って意思表示していくということが大事なのかなと思います。

速水:冷戦の時と一緒で、国際的な軍事状況みたいなものが転換する時、何かを変える民意みたいなものが生まれる、いいきっかけになるんじゃないかという気もします。今夜はジャーナリスト布施祐仁さんにうかがいました。ありがとうございました。