いやぁ。ドアーズ、改めて聞いてみると
キーボードがたくさん、ですなぁ。
ベースがいない、だなんて変ったバンド。
でも、めっちゃカッコ良いです。
ドゥービーはやっぱりマクドナルドさんが入る前のギターサウンドが好きだなぁ。
全く違うバンドになっちまいましたな。
でも売れたから、しょうがない・・・。
『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』 第113回
長かった「テ」が終わり今回から「ト」で始まるアーティストに突入!
『ドアーズ(The Doors)』
★1965年、アメリカ・ロサンゼルスで結成された4人組。
リードボーカル:ジム・モリソン、キーボード:レイ・マンザレク、
ギター:ロビー・クリーガー、ドラム:ジョン・デンズモア。
あえて、ベーシストを入れず、ベースのパートはキーボードのレイ・マンザレクが、
フェンダーローズ(電子ピアノ)のベース部分を、常に左手で弾くことで補っています。
元々、ロスの大学「UCLA」の映画学科の学生だった
ジム・モリソンとレイ・マンザレクが中心になって結成されたドアーズ。
有名なライヴハウス≪ウィスキー・ア・ゴーゴー≫で人気を集め、
結成の翌年1966年、エレクトラレコードと契約。
1967年にアルバム『ハートに火をつけて(The Doors) 』をリリース。
2ndシングルとなった曲は、全米シングルチャートで1位を獲得!
♪ハートに火をつけて(Light My Fire)
*1967年、全米シングルチャート1位を記録。
★同じ年(1967年)に2ndアルバム『まぼろしの世界(Strange Days)』発表。
1968年の3枚目のアルバム『太陽を待ちながら(Waiting for the Sun) 』は
初の全米アルバムチャート1位を獲得。
このアルバムからは、2曲目の全米ナンバーワンシングルも誕生。
♪ハロー・アイ・ラヴ・ユー(Hello,I Love You)
*1968年、全米シングルチャート1位を記録。
★「ドアーズ」のステージは常に挑戦的かつ実験的。
しかし、カリスマ的な人気のリードボーカル:ジム・モリソンは、
ヘロインの過剰摂取で精神的にも肉体的にもおかしくなって行きました。
有名な出来事としては、1969年マイアミのコンサートでのこと。
ステージ上で行った行為が≪公然わいせつ罪≫で裁判沙汰に!有罪判決となってます。
★「ドアーズ」は、1970年12月、ニューオリンズでのステージを最後に、ライヴ活動を停止。
ジム・モリソンはアルバム『L.A.ウーマン(L.A.Woman) 』録音後、
恋人と共に、休養とリハビリを兼ねてパリに行きます。
それから約4ヶ月後、1971年7月3日パリのアパートで謎の死を遂げています。(享年27歳)
その後、残ったメンバーは、後任のボーカリストとして
「フリー」のポール・ロジャースに白羽の矢を立てたんですが、
ポールに連絡がとれずに、この話は自然消滅。
その後、ロビー・クリーガーとレイ・マンザレク がボーカルを担当しますが、
あのカリスマ性のあったジム・モリソンの穴は埋められず、1973年、グループは正式に解散しています。
『ドゥービー・ブラザーズ(The Doobie Brothers)』
★1970年、アメリカ・カリフォルニア州サンホセで結成。
メンバーは トム・ジョンストン と パトリック(パット)・シモンズ を中心に
ジョン・ハートマン、デイヴ・ショグレンによる4人で結成。
1971年、デビューアルバム『ドゥービー・ブラザーズ・ファースト(The Doobie Brothers) 』リリース直後に、
第2のドラマー:マイケル・ホサックが加入し5人組に。
その後、2ndアルバム『トゥールーズ・ストリート(Toulouse Street) 』の録音中に
ベーシストが、黒人のタイラン・ポーターに代わって、
1970年代前半の疾走感溢れるウエストコーストサウンドを代表する黄金のメンバーが揃ったというわけです。
♪リッスン・トゥ・ザ・ミュージック(Listen To The Music)
*1972年、全米11位まで上昇。
★1973年に発表した3rdアルバム『キャプテン・アンド・ミー(The Captain and Me)』からは
初の全米トップテンシングルが誕生。
♪ロング・トレイン・ランニン(Long Train Runnin')
*1973年、全米8位を記録。
*この3rdアルバムからは「チャイナ・グローヴ」もヒット。
★1974年にリリースした4枚目のアルバム
『ドゥービー天国(What Were Once Vices Are Now Habits) 』からは、
初の全米ナンバーワンも生まれています。
この曲は、元々1stシングルの「アナザー・パーク(Another Park,Another Sunday)」の
B面に収められていた曲で、南部のラジオ局のDJがかけまくって全米で大ヒット。
♪ブラック・ウォーター(Black Water)
*翌1975年、全米1位。
★「ドゥービー・ブラザーズ」といえば、メンバーの出入りが激しいので有名ですが
アルバム『ドゥービー天国』のレコーディング直後に、ドラマーがキース・ヌードセンに交替。
それまでレコーディングなどに、たびたび参加していた元「スティーリー・ダン」の
ジェフ・バクスターが6人目のメンバーとして正式加入。
1975年、5枚目のアルバム『スタンピード(stampede)』リリースするも
バンドの顔でもあったリードボーカルのトム・ジョンストンが健康状態の悪化で一時脱退。
代わりに参加したのがジェフ・バクスターの紹介によるマイケル・マクドナルド。
この新メンバーで録音したのが1976年のアルバム『ドゥービー・ストリート(Takin' It to the Streets)』。
これまでの豪快で疾走感のあるサウンドとは全く違う新たなドゥービー・サウンドになっています。
♪ドゥービー・ストリート(Takin' It to the Streets)
*1976年、全米13位まで上昇。
★このアルバムを境に、新たなドゥービーの顔となったマイケル・マクドナルド。
そんなマイケルの才能が凝縮されたのが、1978年、ドゥービーにとって初の
全米アルバムチャート1位となった『ミニット・バイ・ミニット(Minute by Minute)』。
このアルバムからは全米ナンバーワンヒットとなったシングルが生まれています。
♪ホワット・ア・フール・ビリーヴス(What A Fool Believes)
*1979年、2曲目の全米ナンバーワン。
*翌1980年に発表されたグラミー賞で「最優秀レコード賞」
「最優秀楽曲賞」「最優秀グループ賞」など4部門を受賞。
★この後、ドゥービーは、10数回のメ ンバーチェンジを繰り返しつつ、
現在も パット・シモンズ、トム・ジョンストン を中心に活動しています。
次回 「坂崎さんの番組」という番組・・・『坂崎音楽堂』ジェフ・リンの仕事