坂番洋楽データファイル 第108回
「テ」の付くアーティスト、続いております。
このあたりの人達の曲は全く聴いていなかったなぁ。
ラジオとかでは、
たまーに流れているのを聴いたくらいかな。
さあ、秋ツアーももうすぐ。
楽しみにしていて下さいね。
がんばりますよォ!!
『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』
第108回「テ」で始まるアーティスト特集の11回目!
今回のラインナップは・・・
『テスラ(Tesla)』
★1985年、カリフォルニア州サクラメントで結成された5人組のハードロックバンド。
バンド名は、天才的な科学者「ニコラ・テスラ」に由来。
結成から1年後の1986年、アルバム『メカニカル・レゾナンス』でレコードデビュー。
1989年にリリースした2ndアルバム『ザ・グレート・レディオ・コントラヴァーシィ』からのシングル
「ラヴ・ソング」は、初の全米トップテン入りを果たす大ヒットに。
♪ラヴ・ソング(Love Song)
*アルバムリリースの翌年1990年に全米シングルチャート10位まで上昇。
★グループは結成10年目の1994年に一度は解散しますが、2000年に再結成。
現在も全米各所をくまなく廻るライヴツアーをメインに活動中です。
『デズリー(Des'ree)』
★1968年11月30日生まれ、ロンドン出身のポップソウルアーティスト。
バルバドス出身の父と、ガイアナ生まれの母との間に生まれ、10代の頃から作詞・作曲を始め、
23歳の時に初めて作ったデモテープが認められ、1991年デビュー。
シングル「フィール・ソー・ハイ」が全英チャートで13位まで上昇。
1994年に発表した2ndアルバム『アイ・エイント・ムーヴィン』からシングルカットされた「ユー・ガッタ・ビー」は、
全米ではトップ100内に“80週連続”でチャートイン!
♪ユー・ガッタ・ビー(You Gotta Be)
*リリースの翌年1995年に全米シングルチャート5位を記録。
*この曲を含むアルバム「アイ・エイント・ムーヴィン』は、全世界で160万枚以上の大ヒットとなっています。
『デッド・オア・アライヴ(Dead Or Alive)』
★1980年、リヴァプール生まれのピート・バーンズが中心になって結成したダンスユニット。
デビュー当時はロックバンドとして活動しましたが鳴かず飛ばず状態。
そこでリーダーのピート・バーンズは当時ヨーロッパを席捲していた
ハイエナジーサウンド(ユーロビート)を取り入れたダンスユニットにグループを変身させます。
この変身に手を貸したのが、カイリー・ミノーグやリック・アストリー、バナナラマなどを手がけ、
次々に大ヒットを放っていたプロデューサーチーム:ストック・エイトキン・ウォーターマン。
♪ユー・スピン・ミー・ラウンド(You Spin Me Round)
*本国・全英では1位。全米では11位まで上昇。
『テディ・ベアーズ(The Teddy Bears)』
★1958年、ロサンゼルスで結成された女性1人・男性2人からなる3人組。
このグループには、その後プロデューサーとして有名になるフィル・スペクターが在籍したことでもおなじみ。
♪逢ったとたんに一目惚れ(To Know Him,Is To Love Him)
*1958年のデビューシングル、全米1位を獲得。
『デニース・ウィリアムス(Deniece Williams)』
★1951年 6月3日、インディアナ州ゲイリー生まれのシンガーソングライター。
20代はじめ、スティーヴィー・ワンダーのバックコーラスグループ「ワンダーラヴ」で活躍。
その後、ローリング・ストーンズのツアーやレコーディングのバックシンガーとして活動していたところを、
アース・ウインド&ファイアーのモーリス・ホワイトにスカウトされ、1975年にデビュー。
最初はR&B色の強いサウンドでしたが、次第に“ポップより”にシフト。
♪涙のデュエット(Too Much,Too Little,Too Late)
*ジョニー・マティスとのデュエット曲。
*1978年、全米1位、全英3位を記録。
★その後、1984年に2曲目の全米ナンバーワンが生まれます。
それが、映画『フットルース』の挿入歌としてシングルカットされた曲でした。
♪レッツ・ヒア・ボーイ(Let's Hear It For The Boy)
『デニス・デ・ヤング(Dennis DeYoung)』
★1947年2月18日、アメリカ・イリノイ州シカゴ生まれ。
アメリカン・プログレ・グループ「スティクス」の リードシンガー兼キーボード奏者。
スティクスの「ミスター・ロボット」(1983)の大ヒットの後、1984年からソロ活動をスタート。
ソロ第1弾シングルは、当時のスティクス人気もあって全米ベストテンヒットとなっています。
♪デザート・ムーン(Desert Moon)
★ちなみに「スティクス」は、
1980年代後半にデニスとVo&Gのトミー・ショウとの関係が最悪になりトミーが脱退。
デニス・デ・ヤングは何度かのメンバーチェンジを繰り返しつつスティクスで活躍。
しかし1999年、デニス・デ・ヤングもスティクスを脱退。
その後はソロアーティストとして活動を続けています。
次回 「坂崎さんの番組」という番組
『坂崎音楽堂』ハロウィンをテーマにしたコンピレーションアルバムをご紹介