『坂番洋楽データファイル』 第107回
坂崎さんは最近、炭酸水にコッてるようです。
デヴィッドさんが今回でやっと終了しましたね。
ビートルズの「ビ」まではまだまだ長い道のりです。
のんびり行きましょうかね。
みんなで一緒に洋楽をお勉強しましょう。
『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』 第107回
今回は「テ」で始まるアーティスト特集の10回目!
ラインナップは・・・
『デヴィッド・リー・ロス(David Lee Roth)』
★1954年10月10日、アメリカ・インディアナ州ブルーミントン生まれ。
1973年、同じ大学の人気バンド「マンモス」のアレックスとエディのヴァン・ヘイレン兄弟に誘われ参加。
それと同時にバンド名も「ヴァン・ヘイレン」に改名。
1978年、キンクスの「ユー・リアリー・ガット・ミー」のカヴァーでデビュー。次々にヒットを放ちます。
特に1984年リリースの6枚目のアルバム『1984』はシングル「ジャンプ」と共に大ヒット。
そして1985年1月、デヴィッド・リー・ロスはソロ名義で4曲入りEP『クレイジー・フロム・ザ・ヒート』を発表。
ビーチ・ボーイズの曲をカヴァー、ソロデビューシングルとしてリリース。
当時の「ヴァン・ヘイレン」人気も相まって大ヒットしました。
♪カリフォルニア・ガールズ(California Girls)
*全米3位まで上昇。
*バックコーラスには本家「ビーチ・ボーイズ」のカール・ウィルソンと
ミスター・フラミンゴこと、クリストファー・クロスが参加。
★この後、デヴィッド・リー・ロスは1985年4月に「ヴァン・ヘイレン」を脱退。
そして1986年、ギター:スティーヴ・ヴァイ、ベース:ビリー・シーン、
ドラム:グレッグ・ビソネットという超バカテクミュージシャンを迎え、
ソロ第1弾アルバム『イート・エム・アンド・スマイル』をリリース。
そして1988年、2枚目のアルバム『スカイスクレイパー』を発表。
ここからの1stシングルは「ヴァン・ヘイレン」時代のナンバーを彷彿させるキャッチーなもので見事にヒット!
♪まるっきりパラダイス(Just Like Paradise)
*1988年、全米6位まで上昇。
★その後、次第に人気も下降線の一途をたどり低迷。
しかし「ヴァン・ヘイレン」2代目ボーカリスト:サミー・ヘイガーの脱退でグループに復帰したり、また抜けたり…。
さらには、サミー・ヘイガーと一緒に「サム&デイヴツアー」を行なったり、
またまた「ヴァン・ヘイレン」に戻ったりしています。
『デオダート(Deodato)』
★1942年6月22日、ブラジル・リオ・デ・ジャネイロ生まれ(73歳)本名「エウミール・デオダート」。
1960年代中頃からアレンジャーとして「フランク・シナトラ」や「アレサ・フランクリン」
「アントニオ・カルロス・ジョビン」や「ミルトン・ナシメント」などのアルバム制作に携わります。
そして1970年代に入り、まだクロスオーヴァー、フュージョンという言葉も無かった時代に
クラシック作品をジャズテイストにアレンジした注目され、その記念すべき最初の作品は大ヒットを記録しています。
♪ツァラトゥストラはかく語りき(Also Sprach Zarathustra)
*1973年、全米シングルチャート2位を記録。
*リヒャルト・シュトラウスが1896年に作曲したもので映画『2001年宇宙の旅』で使われたことでもおなじみ。
*1974年グラミー賞で最優秀ポップ・インストゥルメンタル賞を受賞。
『テクノトロニック(Technotronic)』
★1988年 ベルギーのハウスミュージックを制作するスタジオで結成されたプロジェクト。
当時、大流行だったハウスミュージックを次々に発表。
1989年、その最初のヒット曲が本国ベルギーをはじめヨーロッパ全土で大ヒット。
その勢いで1989年暮れに全米でもリリースされ、翌1990年には全米2位を記録する大ヒットとなっています。
♪今夜はパンプアップ(Pump Up The Jam)
『デスティニーズ・チャイルド(Destiny's Child)』
★1990年、アメリカ・テキサス州ヒューストンで、ビヨンセを中心に結成されたガールズグループ。
最初は4人のメンバーで「ガールズ・タイム」として地元のライヴハウスなどを中心に活動をスタート。
そして1992年、CBSのスター発掘番組『スター・サーチ』にエントリー、
見事優勝したものの、すぐに芽は出ず。
そこでビヨンセの父親マシュー・ノールズが娘たちの夢をかなえるため、
それまで務めていた大企業を退職、マネージメントオフィスを設立。グループ名もマシューの発案で、
聖書から引用した「デスティニーズ・チャイルド」(Destiny's Child=運命の子)と改名。
1997年、映画『メン・イン・ブラック』の挿入歌で注目され、
翌1998年 デビューシングル「ノー、ノー、ノー パート2」が大ヒット(全米3位)。
1999年、2ndアルバム『ライティング・オン・ザ・ウォール』からの第1弾シングルは
彼女たちにとって、初の全米ナンバーワンをもたらしました。
♪ビルズ・ビルズ・ビルズ(Bills,Bills,Bills)
★グループが売れてくると出てくるのはギャラや待遇面でのメンバーの不満。
表面的には人気絶頂でも、メンバー内の確執は大きくなるばかり。
そこで、ビヨンセの実の父親で事務所の社長マシューは、不満をもらす2人を一刀両断、脱退させます。
そのタイミングでの新曲のビデオには、脱退させた2人やファンも知らない新メンバー2人も出演していました。
♪セイ・マイ・ネーム(Say My Name)
*2000年、全米1位(2曲目のナンバーワン)。
★2000年に新メンバーになった2人。その内の1人は頻繁に遅刻したり無断欠勤を繰り返したため、すぐに解雇。
メンバーはオリジナルの「ビヨンセ」と「ケリー・ローランド」、そして新メンバーの「ミシェル・ウィリアムズ」の3人組となります。
この3人組となって最初の全米1位となった曲がこちら。
♪インディペンデント・ウィメン パート1 (Independent Women Part1)
*2000年、全米1位。映画『チャーリーズ・エンジェル』の主題歌。
★2005年、人気絶頂の中グループは解散を発表。それぞれソロ活動に入ります。
その後2006年&2013年のスポーツイベントで一日限定の再結成を果たしています。
次回「坂崎さんの番組」という番組
『坂崎音楽堂』 ハリウッド・ヴァンパイアーズのデビューアルバムを特集