PROGRAM NO.2015-0035 8/27~8/31


『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』第106回


←テリーズテリーNo.8の
完コピギター「TSK No.8」
(レリック加工はアコギでは珍しいのです)

おそらくこの秋、限定8本のみ発売。





今回はデヴィッドさんで攻めてみました(笑)。
デヴィッドさんはミュージシャンでも、かなりいらっしゃいます。
マニアックな人で好きな人はリンドレーさん、グリスマンさん、ブロムバーグさん、他。
さあ次に出てくるデヴィッドさんは誰かなぁ?


『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』第106回

今回のSYDFは「テ」で始まるアーティスト特集の9回目。



『デヴィッド・エセックス(David Essex)』

★1947年7月23日、イギリス・エセックス州プレイストウ生まれ。
 本名/デヴィッド・アルバート・クック。
 子供の頃、ピアニストだった母親の影響で音楽に親しみ、
 学生時代は地元のバンドで活躍。そして1965年、歌手デビュー。
 10枚以上のシングルを発表するも全くの不発。
 そこで歌手としてだけではなくミュージカル俳優としての活動もスタート。
 すると苦節8年。1973年、主演ミュージカル映画『That'll Be The Day』のために書いた曲が大ヒット。

  ♪ロックにすべてを(Rock On)
   *本国イギリスでは3位。全米では5位を記録。

★この曲をキッカケに本国イギリスでは、シンガーソングライター兼俳優として人気を不動のものに。
 全英チャートでは2曲の1位をはじめトップ10ヒットを10曲放っています。




『デヴィッド・キャシディ(David Cassidy)』

★1950年4月12日、ニューヨーク州ニューヨーク生まれ。
 父親はテレビドラマなどで活躍したジャック・キャシディ。母親も女優という芸能一家に育つ。
 10代の終わりにブロードウェーデビューを果たした後、テレビ局関係者の目に留まり、本格的なテレビ出演がスタート。
 1970年から始まったドラマシリーズ『パートリッジ・ファミリー』(日本では1972年から放映)に主演、
 長男のキース・パートリッジ役で大人気。
 このドラマは、デヴィッドの実の母親でもあるシャーリー・ジョーンズと、
 その子供たちがバンドを組んでアメリカ中をバスで演奏旅行をするというもので、
 テレビの中で歌われる曲の数々も大ヒット。
 同時にソロ活動を始めたデヴィッド・キャシディもアイドル歌手としてヒットを連発。
 「アソシエーション」が1966年に全米1位に送り込んだ曲をカヴァーし大ヒット。

  ♪チェリッシュ(Cherish)
   *1971年、全米9位まで上昇。



『デヴィッド・ゲイツ(David Gates)』

★1940年12月11日、オクラホマ州タルサ生まれ(現在74歳)。
 19歳の時、レコードデビューしたものの全く売れず、
 ソングライターやセッションミュージシャンとして生計を立てていましたが、
 1968年、セッション仲間と結成した『ブレッド』が「二人の架け橋」「イフ」などの大ヒットを生み出します。
 デヴィッド・ゲイツは『ブレッド』と平行してソロ活動を再開。
 グループ解散の年・1977年に発表した曲は彼にとって初のソロヒットに!

  ♪グッバイ・ガール(Goodbye Girl)
   *リチャード・ドレイファス主演の映画『グッバイ・ガール』の主題歌。
    映画公開の翌年1978年・全米15位まで上昇。




『デヴィッド・ソウル(David Soul)』

★1943年8月28日、アメリカ・イリノイ州シカゴ生まれ。
 大学卒業後、歌手としてデビューするも全く売れず俳優に転向。
 1973年、映画『ダーティハリー2』で認められ、1975年からスタートしたTVシリーズ
 『刑事スタスキー&ハッチ』のハッチこと、ケネス・ハッチンソン役で人気者の仲間入りを果たします。
 この人気をバックに再び歌手デビュー、リリースした曲はテレビドラマの大人気も手伝って
 全英・全米でナンバーワンの大ヒットに!

  ♪やすらぎの季節(Don't Give Up On Us)




『デヴィッド・ボウイ(David Bowie)』

★1947年 1月8日、イギリス・ロンドン南部のブリクストン生まれ(現在68歳)。
 本名デヴィッド・ロバート・ジョーンズ。
 1964年、デイヴィー・ジョーンズ&ザ・キング・ビーズとしてデビューするもヒットに恵まれず、
 1966年に芸名をデヴィッド・ボウイと改名。
 1968年、踊りで有名なリンゼイ・ケンプ劇団でパントマイムの腕を磨き、独特のステージアクションに取り入れます。
 1969年の映画『2001年宇宙の旅』をモチーフにアルバム『スペース・オディティ』を発表。 
 すると全英5位・全米15位を記録し一躍人気ミュージシャンの仲間入りを果たします。
 1970年代に入るとグラムロックを代表するアーティストとして大活躍。
 1974年活動の拠点をアメリカに移し、ロックにソウルミュージックを取り入れたアルバムを制作。
 1975年発表のアルバム『ヤング・アメリカンズ』からはジョン・レノンと一緒に作ったシングルが、
 ボウイにとって初のナンバーワンヒットとなりました。

  ♪フェイム(Fame)  
   *1975年、全米1位。


★1981年には、クイーンと組んでシングルをリリース。

  ♪アンダー・プレッシャー(Under Pressure)/クイーン&デヴィッド・ボウイ
   *1981年、全英1位。しかし、全米チャートでは29位。


★1983年、シックのナイル・ロジャースをプロデューサーに起用したアルバム
 『レッツ・ダンス』は、彼にキャリア最大のヒットと成功をもたらしています。

  ♪レッツ・ダンス(Let's Dance) 
   *1983年、全米1位。
   *アルバム『レッツ・ダンス』からは「チャイナ・ガール」「モダン・ラヴ」もシングルヒット。

★1989~91年頃にはロック・バンド『ティン・マシーン』として活動。
 1993年からソロ活動を再開、コンスタントにアルバムを発表。
 2004年、体調不良で活動を休止。
 約9年もの間、音楽シーンから遠ざかっていましたが、
 2013年にアルバム『ザ・ネクスト・デイ』で電撃復活を果たしています。




次回 「坂崎さんの番組」という番組
『坂崎音楽堂』コンピレーションアルバム「アルファレコード」