PROGRAM NO.2013-039  9/26~9/30


『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』 第79回

2人のスティーヴィーさんを紹介しました。

女子でもスティーヴィーさんっているのですね。
日本の名前でも男女共通の名前はありますからねぇ。
「まこと」「まゆみ」「かおる」「ジュン」。
「としひ子」 こらっ!!

『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』 第79回
「ス」で始まるアーティスト特集の4回目。
今回は2人のスティーヴィーをご紹介しました。


『スティーヴィー・ニックス(Stevie Nicks)』
★1948年5月26日、アメリカ・アリゾナ州フェニックス生まれ、
  サンフランシスコ育ち。20代の頃からローカルグループで歌い始め、
  1975年、当時のボーイフレンドだったリンジー・バッキンガムと
  一緒に、新生『フリートウッド・マック』に加入。
  その後、ほぼ20年に渡って『フリートウッド・マック』のボーカリスト
  として活躍。
  「フリートウッドマック」については「フ」の付くアーティスト特集の
  ときに…。
  今回はソロアーティストとしてのスティーヴィー・ニックスの
  ヒット曲をご紹介。
   ♪二人の誓い(Whenever I Call You 'Friend') 
                     with ケニー・ロギンス
    *1978年、フリートウッド・マック加入後
      すぐにケニー・ロギンスと共演。
   ♪嘆きの天使(Stop Draggin' My Heart Around)
                     withトム・ペティ
    *初ソロアルバム『麗しのベラドンナ(Bella Donna) 』からの
      シングル曲。
    *1981年、全米3位。
   ♪スタンド・バック(Stand Back)
    *1983年リリースの2ndソロアルバム
      『The Wild Heart』からのヒット曲。
    *全米5位まで上昇
    *当時大好きだった「プリンス」にインスパイアーされて
      作った曲とか。
      (その「プリンス」はキーボードでゲスト参加しています)
★ちなみに、過去、何度も再結成を繰り返してきた
  『フリートウッド・マック』。
  今年4月「北米ツアー」を皮切りに、ワールドツアーをスタート。
  現在はヨーロッパ、11月~12月はオーストラリアツアーの予定。

『スティーヴィー・ワンダー(Stevie Wonder)』
★1950年5月13日、アメリカ・ミシガン州サギノー生まれ。
  本名「スティーヴランド・ハーダウェイ・ジャドキンス」。
  生まれてすぐに病気のため盲目となったスティーヴィー。
  幼い頃から教会で歌い始め、ピアノ・ドラム・ハーモニカ等、
  9歳までにマスター。11歳の時、モータウンレコードの社長の前で、
  歌と演奏を披露し契約。
  「リトル・スティーヴィー・ワンダー」としてデビュー。
   ♪フィンガーティップス Part2(Fingertips Part2)
    *1963年13歳の時にリリース。全米ナンバーワンを獲得。
      ちなみに、レコーディング時は12歳でした。
★デビューと同時に「天才」の名をほしいままにし、次々にヒットを放ち、
  1973年、2曲目となる全米ナンバーワンが誕生。
   ♪迷信(Superstition)
    *実はこの曲、元々ジェフ・ベックから依頼され作った曲。
      しかし、スティーヴィーのマネージャーが
     「シングルにするのはこっちが先!」と勝手にシングルをリリース。
     そんなドタバタもあり、
     「ジェフ・ベック&ティム・ボガート&カーマイン・アピス」による
     スーパーバンド『ベック・ボガート&アピス』としてのアルバム
     には収録されたものの世界的にはシングルカットされません
     でした。(日本でのみシングル発売)
★この後、まさに全盛期を迎えたスティーヴィー・ワンダー。
  「サンシャイン」「悪夢」「回想」「愛するデューク」等など
  大ヒットを連発。 
  もちろん、アルバムも全てミリオンセラー。
   ♪エボニー&アイボリー(Ebony And Ivory)
                    with ポール・マッカートニー
    *1982年、全米1位。
   ♪心の愛(I Just Called To Say I Love You)
    *1984年、全米1位。
    *実はこの曲、もともと、アメリカにレコーディングに行った
      『ブレッド&バター』が、たまたま同じスタジオにいた
      スティーヴィーと親しくなり楽曲制作を依頼したものでした。
      すぐにデモテープが届いたのでブレバタは、
      1979年の活動再開第1弾シングルとして
      (歌詞をユーミンに、アレンジを細野晴臣さんに依頼して)
      リリースするつもりだったそうです。
      が、しかし!スティーヴィーのマネージャーから
      「映画の主題歌に提供したいから返してくれ!」と言われ、
      「ブレバタ」版のこの曲は急遽、発売中止に。
      ※スティーヴィー版の邦題は「心の愛」、
       ブレバタ版タイトルは「特別な気持ちで」
       そして、スティーヴィーのヒット曲の日本語カバーとして
       1984年末にリリース。
       その後、スティーヴィーは「ブレバタ」には改めて
       「リメンバー・マイ・ラヴ」という曲をプレゼントしています。


次回 「坂崎さんの番組」という番組

『坂崎音楽堂』ポール・マッカートニーの音楽的ルーツを探る