パナマ文書の舞台裏

2020年5月25日Slow News Report



速水:Slow News Report今日はジャーナリストで専修大学文学部ジャーナリズム学科教員でもある澤康臣さんにお話をお伺いします。今日のテーマは「パナマ文書の舞台裏」ということなんですが、「パナマ文書」という言葉は皆さんご存知の方も多いと思いますが、「タックスヘイブン」と言われてしまうと説明するのが難しいなどと僕も思ったりします。タックスヘイブンとは租税回避地のことです。いわゆるペーパーカンパニーを置いて、そこに資産を隠している可能性のある企業や政治家のそばにいる人物、有名なミュージシャンなどのいろんな記録が2016年4月にICIJ(国際調査報道ジャーナリスト連合)などの分析を経て世の中に公開され、非常に大きな世界的な話題を呼びました。そこに名前を連ねていたのはプーチン大統領の近くにいる人間だったり、習近平国家主席の親戚であったり、世界的に有名なスポーツ選手の名前、そして日本の大手企業、メディア企業、広告企業であるとか IT 企業、名前が出てきた人物もいます。そんな報道があり誰もが衝撃を受けました。
そして、澤さんはこのパナマ文書をめぐる調査報道プロジェクトのメンバーでした。澤さんが共同通信の特別報道室という調査報道を担う部署にいた時の話だということなんですが、どういうきっかけでパナマ文書のプロジェクトに関わることになったのでしょうか。


興味はあるかと聞かれれば、答えはYesしかない

澤:私は調査報道を専門に担当する共同通信の特別報道室の記者をしていたわけですけれども、ある時、先ほどご紹介のありました国際調査報道ジャーナリスト連合ICIJのシッラ・アレッチというイタリア人の記者からメールが来たんです。私は2008年ぐらいから早稲田大学大学院のジャーナリズムコースというところで非常勤講師をしているんですけれども、彼はその学生だったんですね。彼が卒業後にいくつかのメディアを経てICIJで働いていて、それでメールが来たわけなんですが、このメールがなかなか微妙なメールでして、「澤さん、お久しぶりです。私は今ICIJで働いています。今とあるプロジェクトをやっています。中身は言えません。興味はありますか?」っていうメールなんですよ。

速水:そんな内容のメールだと、参加すべきかどうか迷うとこじゃないですか。

澤:そうなんです。興味はありますか?の答えとしては、記者ならば二択ですよね、Yes か Yes しかないです。

速水:YesかNoじゃないんですか。

澤:YES ですね。興味がありますか?と聞かれて興味ないという人は記者としては駄目ですね。

速水:けれども実際に参加するということが決まって、蓋を開けてみたら大変な事件だったということですよね。

澤:そうですね。まずそんな国際合同プロジェクトで世界中の記者たちが全部参加しているというようなことということ自体私が初めての経験でしたし、大量のデータを読めと言われて…まあ必死にやりました。やるしかなかったんですね。


パナマ文書の扱いは極秘中の極秘

速水:ちなみにこのデータどういう経緯で漏れてきたものなのでしょうか。

澤:これは本当に極秘文書なんです。タックスヘイブンは匿名でいろんな経済活動ができるからメリットが有るわけですね。ペーパーカンパニーの真の持ち主というのは秘密中の秘密なんですよ。じゃあなんでそれが漏れたのか、しかも弁護士の事務所から。これがなぜ記者たちのところに来たかということなんですが、プロジェクトの中心人物の一人である南ドイツ新聞という有力な新聞の調査報道記者バスティアン・オーバーマイヤーさんという人のところに、ある時連絡があったんです。そこに書いてあったのは、「私の名前はジョン・ドゥ。」まあこれは匿名太郎とかそういう感じですね。「データに興味はあるか?以上」という感じなんです。

速水:これも中身が全く伝えられないまま、興味があるかどうかだけは問われるということなんですね。これはもう答えが二つ、YesかYesなわけですね(笑)

澤:(笑)おっしゃる通りです。ドイツ語ですからYesと言ったかどうかは分かりませんけれども。

速水:なるほど。じゃあ誰がどういう経緯で漏らしたのか、みたいなことはトップシークレットなわけですね。

澤:トップシークレットですね。実は私も知りません。

速水:そのデータ自体はどのような形で受け取ったのでしょうか。

澤:それも秘密です。例えば「これはメール添付で送った」「リンクを参照」とか、あるいは「ハードディスクに入れて宅配便で送りました」なんて言うと、その段階で手がかりを与えますよね。例えばメールで添付して送ったとなると、その時間帯の関係者のメールをチェックすれば絞り込めちゃうわけです。なのでどうやってきたかも秘密です。

速水:その中で各国のジャーナリストたちが調査報道を分担して行うのには、どのくらいの期間かかったのでしょうか?

澤:おおよそ1年弱ですね。

速水:その間秘密にしていなきゃいけないわけですよね。同僚とかそのレベルでも秘密を守らないと漏れちゃいますよね。

澤:そうですね。ですので、私たちは四人のチームなんですが、この四人と編集局長ぐらいしか知らなかったです。ICIJや他の国の記者、あるいは私たち同士でも、メールは暗号化したもの以外使用禁止です。

速水:そこまで徹底していても、隣の同僚に「今お前何の仕事してるんだっけ?」と言われたらどう返してたんですか?

澤:「いやまあちょっと…」っていう感じですね。元々私たちはちょっと特別というか、変わった集団でして、普段は滅多に記事は出ないので、何をやっているのかさっぱり分からない謎の連中なんですよ。ですので適当に受け流しても、仕事してないからごまかしてんだろうと思ってくれていたと思いますよ。

速水:実際そこからのプロジェクトチームの一員として取材をされたわけですよね。その辺の話もお伺いしたいんですが。


パナマ文書でも取材の仕方は普段と一緒

澤:パナマ文書というもの自体にニュースが書いてあるわけでは全然ないんですね。これはただの役所に出した法律文書でしかなくて、会社の株主は誰であるというような、非常に無味乾燥なデータ集でしかないんですね。これを各国が手分けをして調べる。アメリカのことはアメリカの記者が、日本のことは日本の記者が調べるわけです。日本でこれを狙ったのは朝日新聞と共同通信だったんですね。私達、共同通信の特別報道室、先程ちょっと冗談めかして言いましたが、それなりに経験のある力もある記者が一生懸命やるということになっていました。

速水:力のある人たちが一年間かけて取材をしたといわけですが、どういう取材だったのでしょうか。

澤:私たちはプロジェクトのわりと最後の方に関わったので、私たち自身は2ヶ月ぐらい なんですが、このパナマ文書にはタックスヘイブンに会社を作った人物の名前が出ていて、日本人がそこそこいたんですね。でも書いてあるからそのまま記事にしてはダメなんです。やっぱり確認をしないといけない。しかも外国の文章ですから、ローマ字ですよね。もしかすると漢字が違うかもしれないし、同姓同名かもしれない。ですのでパナマ文書に書いてある色々な資料をもとに、場合によっては公文書や表に出ているいろんな文章を使って住所や連絡先を割り出して、そこに訪ねていきます。「すいません、あなたはこういうことはされたという資料があるんですか、ご本人様でいらっしゃいますか?」と聞いて、明らかに違うということもありますし、実はそうだったということであれば、当然これは言い分を聞かなきゃいけない。なにかの間違いでやってしまったのか、それとも何らかの目的があったのか。基本的に普通の取材と何ら変わりません。

速水:例えば実際に大物のところにも取材に行ったわけですよね。

澤:まあいろいろなところに取材に行きました。一番有名なのは大手警備会社のセコムさんだったりしますが、会社に正面から聞いたこともありますし、あるいは個人宅にお邪魔するということをしたこともあります。パナマ文書の中には日本の暴力団の関係の方もいらっしゃったりしたので、あんまり行きたくはなかったんですが、確認をするのが私たちの仕事ですので、やらざるを得ないということですね。


ときには公権力とも対峙することも

速水:パナマ文書にアイスランドの首相の名前が出てきたことが非常に話題になりましたが、そういう権力とも向き合わなきゃいけないみたいなことは世界各国であったんじゃないですか。

澤:日本はそれなりに民主主義という仕組みがありますが、国によっては自由な報道、自由な情報収集に対して非常に抑圧的な国がありますよね。そういうところでは本当に大変だったと聞いています。例えばロシアではこれに加わっているジャーナリスト、あるいはメディアに対して突然脱税容疑がかけられるということがありました。そういう国は世の中にはまだまだたくさんあります。「報道するな」と正面から言うほどあからさまな国がどこまであるのか分かりませんが、色んな手段、例えば名誉毀損で調査報道を潰すというやり方というのは割とポピュラーなんです。そういう問題はまだまだ今もあると思います。


パナマ文書と日常の生活はつながっている

速水:そのように世界各国が協調して、調査報道の結果が出たのが2016年、日本の時間ですが4月4日の情報解禁とともに報道が始まったんですが、この日のことはどのように記憶していますか?

澤:私の手元のスマートフォンがもうニュースアラートがバンバン出てすごかったです。このプロジェクトに参加した会社はもちろん、欧米のメディアでこのプロジェクトに加わっていない CNN とかもどんどんこの件に触るようになってくれたんですね。

速水:日本はどうだったんでしょうか。

澤:日本の場合はちょっとスロースタートという感じでした。外国のことですし、“タックスヘイブン”と言われてもまだまだ日本ではそんなに有名ではありませんでしたので、共同通信が配信した記事の取り扱いもそんなにド派手な感じではなかったということもあります。しかし、アイスランドのグンロイグソン首相が辞任したのが報道開始の2~3日後だったと思うんですが、そのあたりからどうもこれは大変なことだ、世界中で話題になっているということで、NHKをはじめテレビ局もどんどん報道してくださるようになって、そこから火がついたという印象です。

速水:澤さんご自身の仕事であるとか、周辺も大きく変化したんじゃないですか。

澤:そうですね。やはりこの時は注目を浴びたものですから、うちの部署にいろんなお客さんがすごい来ました。「コラムを書いてくれ」とか「連載をやってくれ」とか、いろんな声をかけていただいて本当にありがたい時間でした。

速水:このパナマ文書事件が与えたインパクト、記者としての手応えみたいなものはどうだったんでしょうか。

澤:いろんな反応がありました。日本は政府の反応はちょっとこうなんていうか、静かな感じで、菅官房長官なんかも「詳しいことは知りません」という事しか言わなかったんですが、アメリカのオバマ大統領は「タックスヘイブンを使うことは合法なんだ。ただ合法だからまずいんだ。まずいことが合法のまま放置されているんだ。」と非常に強く述べてくれました。
そして国内では、貧困問題と戦う雨宮処凛さんという方がいらっしゃいますが、あの方が記者会見をしました。当時は「保育園落ちた日本死ね」とかということがあった頃ですけれども、保育園が足りないのは政府、自治体にお金がないからだ。それはなぜか。税をずるく免れている人がいるからだと。パナマ文書の問題は私たちの問題なんですと記者会見で言って下さったんですよ。僕は本当に遠い国の難しい経済の話を書いちゃったかなと思ったんですが、パナマ文書の問題は私たちの問題だと言ってくださったことは本当に嬉しかったです。ニュースが普通の人の暮らしにガチっと結びついたのかなとその時思いました。

速水:最後に一つお伺いしたいのですが、タックスヘイブンを使うことが違法だったら、これは何かしら権力であるとかが対峙すればいい話しなんですけれども、そうじゃないから問題だというところで戦っているわけですよね。先ほどの話の中で面白かったのは、海外と日本での違いみたいなところがあるんですけれども、知るべき情報との接し方って日本と海外で温度差があるんでしょうか。


プライバシーと報道

澤:特に最近学生さんと付き合うことが増えてよく感じるんですが、みんなすごく個人情報、個人情報と言いますよね。

速水:守れってことですよね。

澤:そうなんです。「個人情報だから言えません」って言うわけですが、いや個人情報かもしれないけどプライバシーと個人情報は違いますよと。本当だったら公共の、みんながアクセスができる情報でなければいけないものまでも、どうも政府だけが知る情報秘密情報にされてないかなというのは、最近とても気になります。アメリカだったらオーブンになっているものが日本ではオープンじゃないというものはいっぱいあります。

速水:桜を見る会の名簿なんかも、あれ個人情報なのかという議論もあります。黒く塗りつぶされて出てくると調査取材できないわけですよね。

澤:そこなんです。もちろんそのお名前のご本人は嫌だと思いますよ。自分だったら嫌です。しかし世の中ためにはオープンになっていないと、後々チェックできないものってどうしてもあると思うんです。

速水:歴史的な話も含めて、10年後、20年後、100年後にも調査して出てくる資料みたいなものって、名前ってきっかけとしてはすごく重要なんですよね。

澤:名前は最強の検証タグです。名前をたぐっていけば本当かでデマか、教えてくれる人のところにたどり着くことができるんです。

速水:なるほど。個人情報と名前をパブリックに公開することの意義みたいな話は非常に重要なテーマとして、また機会があればお伺いしたいと思います。澤さんどうもありがとうございました。


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