山谷に寄り添い続けるカナダ人

2020年5月20日Slow News Report


速水:今日のSlow News Reportは後藤勝さんとお届けします後藤さんには前回は「歌舞伎町の伝説の支配人」というテーマでお伝えしていただいたのですが、今日は同じ東京でもガラッと雰囲気が違う街を舞台にお話を伺いたいと思います。
僕は東京の東側に住んでいるのですが、山谷という街にはそれほど行ったことはありません。イメージとしては、昼からお酒を飲んでいる人達が多くて、特に女性なんかはちょっと近寄りがたい場所というイメージがあるんですが、そんな山谷の街がいま変わってきているようです。この街に、後藤さんがずっと7年近く関わっている人がいるということなんですがどういう方なんでしょうか?


40年前、山谷にやってきたカナダ人

後藤:カナダ人のルボ・ジャンさんという方です。山谷地区で生活困窮者を支援する活動をしているNPO 法人 山友会の代表なんですけれども、1960年代の労働者が溢れていた時期から40年近く山谷に関わっていらっしゃる方です。山友会は支援の対象者はホームレスの方なんですが、バブル崩壊で多くの方がホームレスになった時、ジャンさんは今でもそうしているのですが、山友会に来た人を名前で呼ぶんですね。それはなぜかと言うと、やはりホームレスになって家族や仕事とかを失い、本人が名前で呼ばれる機会がなくなってしまう。人として認められなくなるようになるわけですが、ジャンさんは名,b前で呼ぶ=存在を認めてあげるということで、山友会に助けを求めて来た方には名前で呼んで挨拶をしています。一人一人の存在を認めてあげるんだとジャンさんはよく言いますね。

速水:そういう人だと、やっぱりホームレスの方々や現場で支援する方々なんかにも非常に慕われているんでしょうね。

後藤:そうですね。山友会には無料のクリニック診療所があるんですけれども、ジャンさんに共感した人がそちらにボランティアに来てくれたり、炊き出しで料理を作るボランテ.ィアさんなんかも、やはりそういうジャンさんの人柄に惹かれた人が集まるというのは多いですね。

速水:ジャンさんが山谷に40年の長きにわたって関わっている理由は何なんでしょうか?

後藤:ジャンさんはカトリックの宣教師として日本にやってきました。ジャンさんが来た時は外国人の方がまだ珍しかったり、言葉が通じなかったり、いろんな人間関係なんかに悩んだ時期があって、その時は自身も孤独だったと言っていました。ちょうどそういう時に山谷のボランティアをしないかと誘われて、1970年代の山谷に集まる労働者たちと出会ったんだそうです。ジャンさんが言うには、山谷の労働者も家族と離ればなれだったり、いろんな辛い思いをしてここにやってきている。すごく苦労をしていて、人の痛みもわかっていた。しかしながら孤独感があったというところが、ジャンさんはすごく共感したと言っていました。

速水:なるほど。それがきっかけでどんどん深くコミットするようになり、周りにも信頼されるようになったというわけですね。ジャンさんが山谷に来てから40年も経っていると、その間にずいぶん状況も変化しますよね。


山谷がいま抱える問題

後藤:そうですね。以前は労働者が溢れていた街でしたが、バブルがはじけて仕事を失い、ホームレスになった方が高齢になって、生活保護を受けながらまた山谷のドヤで暮らしているという、今はそういう状況になっていますね。そういう方が孤独死をする例があって、いま山谷はそういう問題に直面しています。

速水:メッセージをひとつ読んでみたいと思います。「山谷は南千住の南側で泪橋交差点からさらに南の地区だったような。ホームレスが多いイメージでしたね」というメッセージをいただいています。山谷といえば「あしたのジョー」の舞台としても有名ですが、泪橋という場所は作品の中にも出てきます。ジョーが住んでいるあばら家があったりする場面がありました。今は石碑が建っていたりもしますが、東京の地理に詳しい方でも分からなかったりする場所ですね。近くには南千住があったり、浅草にもほど近かったりする場所です。そんなイメージをもとに、皆さんと今日の後藤さんのお話を伺っていきたいんですが、山谷という場所はホームレスが多い地域で、元々は“ドヤ街”なんていわれていました。労働者の方々が寝泊まりして、そこでその日の仕事を得るための場所だったりするイメージがあるんですが、今の山谷はちょっとまた別の側面が出てきているということなんですね?


労働者の街から観光客の街へ

後藤:そうですね。2002年のサッカーワールドカップ以降、旅行者向けのゲストハウスなんかが増えてきました。

速水:もともと労働者向けの簡易宿泊所たった場所を建て替えて、ウェブで発信すると、安い宿泊施設があるということで海外の方々がやってくる。外国人観光客の場所になっている側面もあるんですが、街はインバウンド需要で賑わっている感じなのでしょうか?

後藤:どっと押し寄せるという感じでもないですが、浅草や上野も近いので、場所的にはすごく便利なんですよね。それで外国人向けのバーなんかもちょくちょく増えてきて、夜はそういうところが賑わったりしています。取材をした場所は建物をリノベーションして、旅行者向けのゲストハウスみたいな感じになっていました。お店の方は英語も話しますし、すごくサービスが良くて、すごく居心地がいい感じのゲストハウスでした。

速水:ちなみにお値段はかなりお安いんでしょうか?

後藤:そうですね。だいたい平均で3000~4000円です。元々、山谷には簡易宿泊所があったので値段は安いイメージですが、さらに場所的に便利ということで旅行者が徐々に増えている感じですね。

速水:ちなみに治安が悪いというようなことはないんでしょうか?

後藤:皆さんのイメージ的には、労働者が外でお酒を飲んでいて、喧嘩をしたり、暴動があったりという、本当に1960~70年代の姿だと思いますが、今は逆にどこからどこまでが山谷なのかということが分からないくらい、歩いていても自転車で通ってもわからないくらいに普通の場所で、犯罪の話なんか聞かないですね。ジャンさんは「新しい人が来ることはすごくいいことで、みんなで山谷という街に共存しよう。誰でも安全に安心して住めて、困った時はお互い助け合ったり、そういう街にしたい」というふうなことをっしゃていますね。

速水:なるほど。インバウンドの外国人観光客がくるような場所になっているというお話しでしたが、最近の新型コロナウイルスの状況下ではそれもちょっと難しくなっているような状況の中、山谷の未来をまた考えなきゃいけないのかもしれないですね。
後藤さんが山谷という街を取材されてどんなことを考えましたか?


山谷は日本の不寛容さの縮図

後藤:山谷という街にはいろんな方が来るんですね。昔の労働者が高齢化してドヤで暮らしているような状況があったり、ネットカフェ難民の方とか、若い方で精神的に病を抱えた方が、どこにも行く場所がなくて山谷にたどり着くという例もすごく多いんですよね。そういう行き場の無い方が山谷に来るというのを見ると、日本の社会がいかに寛大でないか、そのへんは山谷から学ぶことがあるということを僕自身すごく感じていますね。

速水:僕たちは視界に入っているのに見ないふりをしているような状況みたいな構図があるとしたら、それは日本全国で今起こっていることの、ある種の縮図のような形で見えてくるものが山谷にはあるのかもしれません。後藤さん最後におっしゃりたいことがあれば一言いただけますか。

後藤:山谷はイメージのわかない、分からない場所だと思うんですが、実際に来て、自分の目で見たりすればわかると思います。

速水:街というのは、そこに降りてみて初めて分かることがあります。まさに取材されている後藤さんがそれをいちばん分かっていると思います。皆さんもきっかけがありましたら、ぜひ一度気にしてみて、街を歩いてみてはいかがでしょうか。後藤さんありがとうございました
皆さんからメッセージを頂いてるので読んでみたいと思います。「山谷は初めて聞いたな。駅名にでもなってないと知らない街はたくさんあるんだろうな」 というご意見頂いています。確かに駅名イコール地名ではないですからね。東京に住んでいても、山谷ってどこだろうという方はたくさんいらっしゃると思います。そういう、街の歴史的になぜ駅名ではないのかみたいなところも面白いところがありますよね。
「南千住と言ったら金八先生のロケ地じゃないですか。商店街とか街の雰囲気懐かしい感じの町ですよね」確かに最寄り駅は南千住で、近くに荒川が流れていますね。僕は「東京β: 更新され続ける都市の物語」という本の中で、宮部みゆきさんの「理由」という本を取り上げて、この辺の地域のことを書いたことがあります。きょうのSlow News Reportに宮部みゆきの「理由」という本は関連しているかもしれません。今日「は山谷に寄り添い続けるカナダ人」というテーマでお送りしました。


 今すぐ聴く