コロナ時代のニューノーマルとは

2020年4月23日Slow News Report


テレワークで変わる仕事感

速水:スローニュースリポート。今夜のテーマは「コロナ時代のニューノーマルとは」。新型コロナウイルスの影響によって世界の状況が急激に変化しています。そんな中で”アフターコロナ”や” ウィズコロナ”といったいろんな言葉が出てきています。今が非常事態であるということは間違いないんですが、これが日常になりつつあり、この機に変えるべきことは変えるべきなんじゃないかという議論がいろんなところで起きているということで、 「ニューノーマル」という言葉が 再び使われているんですね。ニューノーマルという言葉は2000年代初頭、 もしくは2007~2008年のリーマンショックのあたりに使われた言葉で、構造的な変化を受け入れ、それを新しい常識にするんだという掛け声みたいなものですね。今回のコロナ禍でもマーケティングの専門家であるコトラーなんかがよく使っている言葉です。今日は浜田敬子さんと僕とでコロナ時代のニューノーマルはどんなことをこれから考えていくのか、常態化していくのかを話していきたいと思います。浜田さんは3月からテレワークに取り組んでいるということなんですが課題なんかも見えてきていますか?

浜田:もちろんいいところもあると思うんですけれども、オフィスって何だっけ?毎日会社って行かなきゃいけないものなんだっけ?と改めてみんな考えたと思うんですね。 日本人って大雪が降った時とかもものすごい無理をして会社に行くじゃないですか。なんであそこまでして会社に行かなければいけなかったのかということが、 今回在宅ワークをしたことでみんな気づいたんじゃないかと思います。在宅勤務を進める会社や、 なかなか進んでなかった会社などに取材をしたんですけれども、やっぱり「できない、 できない」って言っていた会社はなぜできないのいうと、例えば上司が出てきているからとか、取引先がやっぱり対面じゃなきゃいけないと言うとか、書類を出すだけとか、判子をもらうためだけとか、本質じゃないことで「できない」ということがあったんですね。もちろんそれだけじゃなくて設備がないというところもあったのですが、今回みんな在宅ワークをしなければならないとなった時に、やってみたら会社に行く必要がある仕事ってそもそもなんだろう?とか、この仕事自体がそもそも必要なのか?とかということを考えざるを得なくなったと思うんです。そのこと自体がすごく大事なことなのかなと感じました。

速水:世間でも”エッセンシャルワーク”といって、必要なものと必要でないものを切り分けるという発想が始まっていますが、自分の仕事の中にも必要ないのではないかというものが見えてきいますが、例えばこれいらないだろうというものはありますか?

浜田:いちばんは書類ですよね。 うちの会社はオンラインでいいとなったんですが、経費精算を出すためにだけ会社に行くか、上司が「打ち合わせだけは対面じゃないと」というので出社したとか聞くのですが、でもそれはなんでオンラインでできないの?という根本的な問いをする前に、 「こうじゃなきゃ」と思い込んでいることが多いのかなと思いました。今回凄く面白かったのは、お子さんがいて介護もしている女性の方に取材をしたんですね。彼女の勤務先は大企業で、元々在宅勤務の制度がちゃんとあったんですが、その女性だけが在宅の勤務を申請していて、他の人は在宅勤務の制度があるにも関わらず全く使っていなかったんです。彼女だけが時短制度を使ったり、在宅勤務の制度を使っていて、肩身の狭い思いをしていたんだそうです。だけれども、みんなが在宅勤務になった時に、彼女はみんなよりたくさん働けるようになったというんです。例えば今まで時短で4時までしか働けなかった。でも彼女が時短勤務に慣れていて、非常に生産的に家で仕事をしていたので、他の人が慣れていない中で逆に時間的なハンデがなくなったというんです。私はこれはすごく大きいことだと思っていて、これまで場所とか時間で制約があった、特に女性の方ですが、みんなが同じ土俵で在宅ワークをやることになって、むしろ能力を発揮しやすくなったという面もあると思います。ただ学校が休校でお子さんがいて大変だという面もあるんですけれども、やっぱり場所に集まるということの負荷が非常に高かったということに気づきました。

速水:メッセージも読みたいと思います。「僕は実験系の研究者なんですが、今週からテレワークになりました。こうなるだろうなと先月初めから準備を進めてきました。出勤できる時に実験しデータを積み上げ、テレワークになったらデータをまとめ論文と予算申請書の執筆。おそらく来月からは週1日実験をしに出勤、あと4日は在宅でデスクワークをし、それを続ける。慣れる慣れないではなく、状況を見極めできる限りを尽くせるように立案し動く。これしかできないなと思います」というメッセージです。 まさにこれ能力の発揮し時という人もいるかもしれないですね。 もう一通読みます。「コロナ時代のニューノーマル。これって個の時代ですかね。テレワーク、ZOOM飲み、オンライン学習、さらにSNS、Eスポーツなど、個人の発信力などパフォーマンスで強弱が出るような気がします。日本人特有のみんな一緒にという感情は薄くなるような。でも全部がデジタル文化なので、そのうち映画のように人間対 AI の時代が見えてきて、人間みんな一緒に的なこともありそうです」というのも頂きました。

浜田:確かに個の能力の差は出てくると思うんですよね。まず私はそんなにテクノロジーに強い方ではないので、最初ZOOM会議とか慣れない時に、一生懸命後輩に教えてもらったりとかしたんですけれども、逆に言えばリアルの価値も高まるような気がします。例えばずっとみんなが在宅でやっているとやっぱり寂しくなるわけですよ。ちょっとした雑談だったりとか、リアルに会うということがどれほど貴重なことかということがみんな意識して、それまで会社に嫌々行っていた人が「会社に行ってみんなでランチ食べたいね」とか言い出してるわけですよ。ですので自主的に集まるということになるんじゃないかと思います。


自分の安全とプライバシー

速水:次に浜田さんと話し合っていきたいテーマに「監視社会」というのあると思うんですよ。ニューノーマルが話題になっていますが、シンガポールや中国で、アプリで自分の移動が監視されていて、これを監視している主体は国家という話があります。これが日本でも同じように必要なんじゃないかという議論がある。もう一方ではグーグルやアップルなど、いわゆるGAFAといわれるプラットフォーム企業、IT企業なんかがコロナ対策のために行動を追跡するようなアプリを開発したりという流れがある。これを機に監視社会化が進むということに対してどう対処するかという問題ありますよね。このことについて、問題があるという部分と、一方で必要な部分と両方考えていく必要があるかなと思うんですが、いかがでしょうか?

浜田:平常時だったら、多くの人が監視されたり、自分のデータを勝手に使われることには非常に抵抗があったと思うんですけれども、今のコロナという事態で、自分の命とか健康とプライバシーを天秤にかけなきゃいけなくなった。ちょっとびっくりした事があったのですが、ニューヨークに住んでいる友人がいまして、彼女はとてもリベラルな考え方を持っていて、自分のプライバシーを侵害されるということに対してはとても敏感な感覚を持っているんですけれども、毎日毎日数百人が亡くなって行くニューヨークに暮らしていると自分のデータを全部管理されてもこの状況を止めて欲しいと言うんです。体調管理だとか体温などを全部政府やプラットフォーム企業に握られても、早くこの状態を収束させて欲しいと思うと。韓国では個人データを強制的に管理してましたよね。中国なんかも強制的に個人のデータを管理しながら封じ込めをやりました。やっぱり封じ込めのためには、そこまでやらなければいけないんじゃないかと思い始めている人が多いと思うんです。それまで自分たちが嫌だなと思っていたことが、命と天秤にかけるという状況になったとき、やっぱり人間ってその恐怖に勝てないと。多少プライバシーを管理されてもいいと考えてしまうんだなということをすごく今思っています。

速水:シンガポールなんかはとても民主主義ではない国家の体制なんだけれども、それが逆にうまくいっている国家として知られていますし、中国は非常に大きい権力を持った政府が主導しているから今回封じ込めることができたと。じゃあ日本はどうなのと考えた場合に、日本は親方日の丸体質というか、いざという時は大きい力に頼りたいという国民性があるのかなというのは、ちょっと危惧する部分ではあるんですよね。また、国家に委ねていいのかという問題の前に、ちょっと違うところを危惧している部分もあって、例えば営業している飲食店などに対して、パチンコ屋の議論なんかもそうですけど、これを政府に取り締まってもらいたいと通報する数が増えているという話があります。これは相互監視、国民同士の疑心暗鬼になってっていう、日本の場合はそっちの問題のほうが根が深いなと思うんです。日頃は国家に対して、自分達は関係ないと思っているんだけれども、いざとなったらすごい頼りたがっているという事なのかなと思うんですよね

浜田:やっぱり非常時には、ある程度データの一元化をして テクノロジーの力を使って解決するというのは、今の時代はあるべきだと思うんです。例えば保健所の方が一つ一つヒアリングしてるような状況を聞くと、もう少し今どきのテクノロジーを利用できないのかということは思います。だけれどもそれに至るまでの議論を日本は何もしなかったんですよね。自分たちのプライバシーをどう考えるかとか、議論してどっちを自分たちが選択したという実感がないままに、いざとなったら国に決めてくださいという。でも国が決めたら文句言いますみたいな、その繰り返しのような気がしているんです。面白いなと思ったのが台湾の事例なんですけれども、台湾は今回よくやったといって日本でも評価が高いんですけれども、オードリー・タンさんという天才と言われているデジタル大臣の人がいるんですね。

速水:マスクの生産ラインを増やして国民に供給に成功したという話が有名ですよね。

浜田:タンさんのインタビューの時になるほどと思ったことがあって、タンさんがこれだけのプラットフォームを自分一人で作ったわけじゃないんだと。それまでにひまわり運動とかがあって、市民運動の高まりがあったり、その中でエンジニアがみんなで協業したような形で、いろんなネットワークとかプラットフォームを作るという文化ができてきた。その上で、今回すぐ民間の人達の力でできた。国がやった訳じゃないと。自分は橋渡しをしただけで、民間の人たちが自分たちでやろうよという動きが元々あったということをおっしゃっていたんですね。ルールもプラットフォームもある程度自分たちで作ろうという、下からの流れだったんだなということが、とても私は面白いなと思いました。


結論のないものは結論のないままに

速水:例えばコンビニの無人化みたいな事っていうのも、電子マネーの普及みたいな事っていうのも、実はそこを日頃やっていた国と今からやろうとする日本では土台が違うし、そこへの議論の積み重ねみたいなものが今問われてしまっている。これを突き詰めていくと、じゃあ何かあった時に政府を非難して政権をひっくり返せばまともになるの?っていう話ですよね。そもそも土台みたいなものをまず作っておかないといけない。それを市民の中の議論のフィールドみたいなことと考えると、メディアのあり方も問題です。通報しちゃう市民みたいな話や、サーフィンを締め出せって言ってる話も、日頃メディアがそういう報道をして、みんながイライラするような報道をしている部分と繋がっていると思うんですけれども、メディア報道のあり方も浜田さんにお伺いしたいんですが。

浜田:コロナの問題は答えがすぐに出る問題ではないですよね。そういう複雑な問題、答えが出ない問題を扱うのにテレビは苦手なんじゃないかと思います。コメンテーターをやっていると、「30秒で」とか言われることがよくありますが、語りきれないんですね。討論番組など、長く話せて丁々発止で立場の違う人が意見を戦わせるみたいな所だと、どんどん深掘りできるんですけれども、一言でまとめるというのがとても難しい問題が多いわけですよ、コロナに限らず。このデータ管理問題もそうですよね。「こういう前提があって、こういう条件だった時はこうだけどでも、こういう人もいますよね」みたいな議論を、答えがないものは答えが出ないまでもいいんじゃないかと思います。そして、安直な答えにすぐに持っていかないということ。あともう一つは、非難ばかりしてるんじゃなくて、例えばこういう案はどうでしょうとか、そういう提案が、そんなの馬鹿らしいと言われてもいいから、必要だと思うんです。例えば休日に海岸に人が押し寄せますということを「けしからんですね」と言って終わりじゃなくて、じゃあどうしたら解決できるんだろうかという、問題提起とある程度のソリューションみたいなものを提示していくっていうのも今時のメディアなのかなという感じがしています。

速水:確かにテレビ報道の専門家のインタビューなんかでも、結構スムーズに話しているなと思うとテロップが出てきて、「ああ、これ打ち合わせ通りなんだな」ということが多々あるんですよね。そこまで決められてはいなくても、30秒とか1分しかコメンテーターが話す時間がなかったり、途中で挿入する映像を全部作り込んでいて、対応も全部決まっているということもある。僕もコメンテーターをやっていて、これ変えられないかなと思う部分なのですが、途中でこんな議論になっても画が出せないとか、その話に関してはフォローできないっていう展開をほぼ許さないですよね。でも今僕たちがやっているこのラジオとかは、打ち合わせはしていますけれども、たどり着く結論もないまま、リスナーに許していただける範囲で、ある程度フリーハンドの議論が必要で、僕らはそこのコミュニケーションを提示するテーマなどを事前に決めすぎないことでできることというのをアピールしていきたいですね。

浜田:今もこっちの方向に話が行くと予定もなかったし、私も悩みながら話しているし、やっぱりラジオってそこが面白いですよね。


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