#33『I got rhythm 音楽が生まれる時』 概要と選曲リスト

是非これを見ながら聴いてください!

今月のテーマ:「ポップに、キャッチーに!お茶の間を沸かすコマーシャル・ソング」
(第2回:お茶の間賑わすコマーシャル・ソング)
パーソナリティ:濱田 高志(音楽ライター、アンソロジスト)


<番組のトーク・パート(概要)と選曲リスト>

― 今月は、「ポップに、キャッチーに!お茶の間を沸かすコマーシャル・ソング」と題して、日本のコマーシャル・ソングの世界を紐解いていきます。今回は、お茶の間を賑わすコマーシャル・ソングを中心にお届けします。

 1963年、テレビの受信契約件数は1500万件ほどでしたが、1964年に開催された東京オリンピックが、テレビの世帯普及率を押し上げるきっかけになり、1967年には2000万件を突破しました。
 テレビが普及したことによるお茶の変化は、父親の座るポジションです。床の間を背に、家族全員を見渡すように座っていた父が、テレビを囲んで家族一緒に団らん、といった図式に変化しました。
 
―モノクロテレビ時代におなじみだったコマーシャル・ソングをいくつかご紹介します。

M1「「伊東に行くならハトヤ」ブラック・キャッツ
ハトヤホテルのCMソング。作詞は野坂昭如、作曲はいずみたく。

M2「長生きチョンパ」楠トシエ、フォー・コインズ
 船橋ヘルスセンターのCMソング。楠トシエは「初代コマソンの女王」と呼ばれた人です。フォー・コインズは、作曲家の三沢郷がいたグループで、三木鶏郎の曲をたくさん歌ってます。この曲の作詞作曲も三木鶏郎です。

M3「グッと飲んだわグロンサン」ボーカル・グループ
当時は中外製薬、現在はライオンが取り扱っている「グロンサン」のCMソング。浜口庫之助が作詞作曲。歌はクレジット上「ボーカル・グループ」となっていますが、門下生が歌っています。

―1975年になると、カラーテレビの普及率は94%になります。そんなカラーテレビ時代の到来とともに、お茶の間に浸透したコマーシャル・ソングをいくつか紹介します。

M4「幸せの青い雲」森田公一
 今でも使われている日本香堂のCMソング。作詞は伊藤アキラ、作曲は森田公一です。

M5「ランサー・セレステ」浜口庫之助
 1975年の三菱自動車工業のCMソングで、作詞・作曲も浜口庫之助です。

M6「フジカラー・お正月を写そう」桜井順
 1975年の富士フイルムのCMソング。作詞は富士フィルムの宣伝部で、作曲は桜井順。

M7「石丸電気の歌」藤本房子、とみたいちろう
 1975年の石丸電気のCMソング。作詞は伊藤アキラ、作曲は桜井順という名コンビ。藤本房子も「コマソンの女王」です。

―お茶の間と言えばちゃぶ台、ちゃぶ台と言えば、テレビドラマ『寺内貫太郎一家』。すぐにちゃぶ台をひっくり返す頑固おやじ、寺内貫太郎を演じた小林亜星は、三木鶏郎と並んで、覚えておきたいコマーシャル・ソングの名人です。
 小林亜星は、1932年8月11日生まれの87歳で、現在も現役です。今年、彼のキャリアを辿る4枚のコンピレーションが発売されました。彼はとにかく多才で、作曲だけでなく、作詞家、俳優、タレント、ボーカリストとしての側面を持つマルチタレントです。1961年のレナウンのCMソング『ワンサカ娘』『イエ・イエ』を皮切りに、『ひみつのアッコちゃん』『科学忍者隊ガッチャマン』『∀ガンダム』『ピンポンパン体操』等、6000を超える曲を発表しています。そんな彼が作ったコマーシャル・ソングをいくつか紹介します。

M8「ワンサカ娘'64」弘田三枝子
 1964のレナウンのCMソング。もともとレナウンに小林亜星の妹が務めていて、妹の紹介で曲を書くことになりました。

M9「どこまでも行こう」山崎唯
 ブリヂストンのCMソング。山崎唯は『トッポ・ジージョ』の声でお馴染みです。以降、色々な人に歌われています。

M10「人間みな兄弟」サイラス・モズレー
 1968年のサントリー「サントリー オールド」CMソング。サイラス・モズレーは、上智大学の教授で、牧師です。

M11「日立の樹(この木なんの木)」ヒデ夕樹、朝コータロー、シンガーズ・スリー
 1973年の日立製作所のCMソング。シンガーズ・スリーは、伊集加代(以前は伊集加代子)が率いるコーラス・グループです。マネージャーが小林亜星の奥様なので、小林亜星の曲には、シンガーズ・スリーが多く参加しています。作詞は伊藤アキラ、作曲は小林亜星で、今まで色々なバージョンが作られています。

M12「酒は大関こころいき」いしだあゆみ
 1981年に作られた。大関酒造のCMソング。加藤登紀子のバージョンが有名ですが、こちらの曲も、色々な方が歌っています。いしだあゆみバージョンは、今回のコンピレーションで初めてCDになりました。