#30『I got rhythm 音楽が生まれる時』 概要と選曲リスト

是非これを見ながら聴いてください!


今月のテーマ:「The World of Black & Blue」(第13回:60年代のソウル・ミュージック)
パーソナリティ:ピーター・バラカン(ブロードキャスター)


ソウル・ミュージックのリズムがみえる。
レコードプレイヤーから響きラジオからほとばしる。

WVON が伝えるのは、黒人暴動のニュース、
ヒッツヴィルUSAのヒット曲。
外では平等な権利を獲得するために戦う。
けれど、うちではダンスダンスダンス。

ソウルのリズムがみえる。
耳慣れた声が今、新しいメッセージを歌う。

<番組のもとになった本>

絵本『リズムがみえる I see the rhythm』(サウザンブックス社)より
(文:トヨミ・アイガス、絵:ミシェル・ウッド、翻訳:金原瑞人、監修:ピーター・バラカン)

<番組のトーク・パート(概要)と選曲リスト>

― 今月は、ブラック・ミュージックの歴史を描いた絵本『リズムがみえる I See the Rhythm』を基に、ブラック・ミュージックの歴史を紐解いていきます。今回のテーマは「60年代のソウル・ミュージック」です。

今日は、60年代のソウル・ミュージックの2つの大きな柱とも言われる、デトロイトのモータウン・レコード、メンフィスのスタックス・レコードの、2つのレーベルを軸にお話しします。

M1「Money(That’s What I Want)」Barrett Strong
<Spotifyリンク>※ラジオでOAしたものとバージョンが異なる場合があります。

 誕生してまもないモータウン・レコードに最初の大ヒットをもたらした曲。1963年にビートルズもローリングストーンズもカバーし、ロンドンでもこの曲は有名になりました。
 
―60年代の前半に、モータウン・レコードのヒット曲が次々と出てきます。

M2「Dancing in The Street」Martha Reaaves & The Vandellas
<Spotifyリンク>※ラジオでOAしたものとバージョンが異なる場合があります。

 素晴らしいヒット曲を連発していたマーサ&ザ・ヴァンデラスの、1964年の楽曲。改めて聴くと、タンバリンの音の大きさに驚きます。当時、モータウン・レコード以外に、こういった音のバランスをとるレコード会社はなかったと思います。

―この1964~65年頃に、。「ソウル・ミュージック」という言葉が出てくるようになりました。最初に誰に対して使われたかというと、おそらくオーティス・レディングです。

M3 「Mr. Pitful」Otis Redding
<Spotifyリンク>※ラジオでOAしたものとバージョンが異なる場合があります。

 1962年にスタックス・レコードからデビューしたオーティス・レディングの初期のヒット曲。
アメリカの北部のニューヨークにしても、モータウン・レコードのデトロイトにしても、録音の仕方といえば、ソングライター、アレンジャー、プロデューサー、スタジオミュージシャンがいて、きちんと作り上げていました。
対して、アメリカの南部は、スタックス・レコードのメンフィスもそうですが、スタジオミュージシャンは楽譜が読めません。曲のアレンジメントはスタジオの中で、録音の時にみんなで話し合って決めるスタイルでした。
 この曲も、後半のオーティスの歌い方は、ほとんど即興のように聞こえます。

M4「In The Midnight Hour」Wilson Pickett
<Spotifyリンク>※ラジオでOAしたものとバージョンが異なる場合があります。

1965年にアトランティック・レコードが発表した大ヒット曲。
 ニューヨークのアトランティック・レコードも、北部のスタイルでレコードを作っていましたが、アトランティックがスタックス・レコードの配給を担当するようになると、南部のスタイルのほうが理にかなっていると考えるようになります。そして、アトランティックで契約した歌手、ウィルソン・ピケットを北部からわざわざメンフィスに連れてきて、スタックス・レコードのミュージシャンと一緒にレコードを作りました。この曲は、その頃の初期の曲です。

―メンフィスから車で2時間くらい走ると、アラバマ州の田舎にマッスル・ショールズという町があり、そこにフェイムというレコーディングスタジオがあります。アトランティック・レコードは、このスタジオのリック・ホールというエンジニアと、彼のもとで働いているスタジオミュージシャンが優秀であることに気が付くと、マッスル・ショールズでも録音を行うようになります。

M5「Respect」Aletha Franklin
<Spotifyリンク>※ラジオでOAしたものとバージョンが異なる場合があります。

 1967年にアトランティック移籍した、当時24歳の歌手、アレサ・フランクリン。すでにゴスペル、ジャズ寄りのリズム&ブルーズで活動していましたが、非常に才能を持っている割にはヒット曲が出ていませんでした。
 その彼女がアトランティックに移籍したとたんに、ヒット曲を連発します。この曲はその最たるもので、マッスル・ショールズで録音されたものです。

M6「「When A Man Loves A Woman」Percy Sledge
<Spotifyリンク>※ラジオでOAしたものとバージョンが異なる場合があります。

 こちらも、マッスル・ショールズで録音された曲。ソウル・バラードの決定打と言える曲です。