生まれつき“面白いコト”好き

『ムッシュかまやつKeep on Running~愉快にやろうぜ!“シ・ク・ヨ・ロ”アンソロジー』#28




2008年6月放送より


「1972年から1975年の間というのは、僕自身、凄く迷っていたね。音楽性で迷っていた、どうしようかなって。たまさか、フォークのムーブメントに入れたのは、元々、僕のキャリアの最初がカントリー&ウエスタンだったからです。アコースティック・ギターなど、いろんな意味で入りやすかったんだけど、ただ、思想的な訓練は受けていないので(笑)、こっち側ではフォークみたいのを演って、あっち側ではウォッカ・コリンズ(1971年にアラン・メリルと結成した日米混成ロック・バンド)を演ったりしていました。ウォッカ・コリンズと吉田拓郎さん、そしてチェリッシュが同じステージに立つ、な~んていうコンサートが普通にある時代だったし」


「あの頃は結構、俺も突っ張っていて“ちょっとコレ早いだろ? コレ、新しいだろ?”みたいな気持ち満ち満ちみっちゃんでした(笑)。で、原宿の飲み屋で(吉田)拓郎と知り合い、呑むようになって、1974年だったかな、(よしだたくろう&かまやつひろし名義の)「シンシア」(作詞・作曲、吉田拓郎)っていう本当の意味でフォークみたいな曲をやって、そこから「我が良き友よ」(1975年発売)に繋がっていくんです」


「なんて言ったらいいのかなあ、僕は生まれつき“面白いコト”好きで、それが良い形で展開したんだ。もちろん、それぞれ、慣れないコトは一杯あったけれども、でも、解かっていたら行かなかったと思うんだ。解からないから興味が沸いて、たまさかその世界に入れて友だちが出来たんだよ。だから、俺の1970年代は自分の中でも大きな部分を占めていますね。本当にいろんな人と知り合えましたから。まっ、フォーク(・シンガー)と言われている人たちもロック・ミュージシャンと同じで、ほとんどがビートルズを聞いて育った人が演っていたんだよね、今、考えてみると。アタリ?」


*記事の感想や、
ムッシュかまやつ氏に関するエピソード&思い出を
トークルームに投稿していただけると嬉しいです。


*次回は10月14日(月)午前7時頃更新!



↓ムッシュかまやつ氏のプロフィール&活動記録などはこちらをご覧ください↓