2011年3月11日14時46分に発生した東日本大震災から8年。
もう8年、8年も経つんです。
私事ですが僕の子供は震災の年に生まれました。
その子がもう今年で8歳になる。そして彼は震災を知りません。
長いようで、あっと言う間なようで。
でも息子の成長を見ていると、そこにはやっぱり月日の経過がある。
震災以降番組は幾度となく被災地を訪れ、その町の姿を、人の声をお伝えしてきました。これは旅日記で何度も書いている事です。
取材当初は目を背けたくなる風景も沢山ありました。
いわゆる瓦礫の山を見た時に、言葉に出来ないもどかしさを感じたことも1度や2度ではありません。
取材を続ける中で、被災者ではない我々がどこまで東北の方に寄り添う事が出来るのか、そんな事ばかり考えていました。そしてそれは今も心のどこかにあります。
それでも、それでもです。
何度も取材に訪れる事で感じる、人の心の変化がありました。
町の景観の変化がありました。
この8年、僕達は人の言葉と、変貌を遂げる町の様子で、
“あの震災がもたらしたもの”を伝えてきた様な気がします。
間もなく震災から8年の月日が経とうとしています。
皆さんにとっての8年はいかがでしたか?
あの震災から8年、皆さんはどんな時間を過ごしてきましたか?
目の前には新日鐵住金釜石製鐵所の煙突が見えます。
白煙を上げるその姿は釜石市のシンボル。
すぐ近くの大通りには沢山の車も行き交っています。
井門「久しぶりの釜石だけど、町が随分と変わりましたね!」
永尾「色んなお店が出来たもんね。
もう本当に震災直後の様子が思い出せないくらいだね。」
釜石を訪れるのは久しぶりだけど(ご無沙汰していてごめんなさい)、
本当に町の姿が変わった様な印象を受けました。
お店、ホテル、ホール、そして通りを歩く人の多さ。
かつて釜石にお邪魔した際お世話になったかまいしさいがいエフエムも、
既に災害FMとしての役目を終えています。
――あの時の皆さんはお元気だろうか…。
そうだ、お話しを伺った佐々木さんの桜牡蠣もまだ食べてないや。
阿部さんは元気かな。鬼灯のママの料理もまた食べたい。――
釜石を想う時、本当に様々な人の顔が浮かんできます。
あれから8年…。少しずつ前に進んできたこの釜石の町に、
ついに今年、ラグビーW杯がやってくるのです!
今回は震災から8年の、釜石の今の声をお届けします。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
旅日記はこちらから
旅の動画はこちらから