2008年の北京オリンピックで、ソフトボールチームは、宿敵アメリカを破り、待望の金メダルを獲得します。
そのなかで攻守ともに活躍したのがショートの西山麗選手でした。
2月のアスリートママは、西山選手のお父様・義信さんと、お母様・美千子さんです。
2月の第一週は……
「北京オリンピックで金メダル」
2008年の北京オリンピックを最後に、ソフトボールが正式種目から外されてしまう。
選手にとって最後のオリンピックになるかもしれない。
そのなかで連日死闘が繰り広げられました。
アメリカとの決勝戦の前日、オーストラリアとの3位決定戦、日本チームは、西山選手のサヨナラ安打で勝利を手にします。
スタンドで応援していたのは義信さん、美千子さん、そして、お兄さん。
球場にはオリンピックでしか味わえない、特別な一体感があったそうです。
2月の第二週は……
「活発な女の子」
3人兄妹の末っ子に生まれた麗さんは、活発な女の子でした。
運動神経にも恵まれて、小さい頃はお兄さんのお下がりを着て、駆け回っていました。
ところが、5歳で心臓の大動脈弁狭窄・閉鎖不全症と診断されます。医師から言われたのは、「突然死もあり得る」という現実。
その時、家族は、麗さんはどのように受け止めたのでしょうか
2月の第三週は……
「中学2年で手術を受ける」
中学進学に伴い、体を心配した家族のアドバイスで、ミニバスケットからソフトボールに転向。
攻撃の時に休めること、地元中学が弱小チームだったことが勧めた理由だったとか。
そこでも抜群の運動神経で、メキメキ頭角を現していきます。
そんな日々のなかで、心臓の手術を受ける日がやってきます。
2月の第四週は……
「強豪校・厚木商業に進学」
中学校での活躍が認められて、神奈川県の強豪校・厚木商業高校にスカウトされます。
自宅から片道2時間半の厚木商業。義信さんは、自宅から通える平塚商業に進むことを希望しますが、麗さんが選んだのは厚木商業。
後に同じく日本代表となった山田恵理選手と交互でキャプテンを務めます。彼女が積極的に声を掛けたのは、練習になかなかついていけない下級生たち。
その優しい人柄は、北京オリンピックの際にも高く評価されます。
【西山麗選手】
1984年神奈川県横須賀生まれ。5歳で大動脈弁狭窄・閉鎖不全症と診断される。
小学校時代は、ミニバスケットに取り組み、中学校でソフトボールに転向。
中学2年で、心臓の大手術を受ける。高校は県下の強豪校・厚木商業高校に進学。
2002年に実業団・日立ソフトウェアのチームに入部し、日本代表に選出される。
2008年、北京オリンピックで優勝する。