大宰府の防衛施設であり、人々の出会いと別れの場ともなった、太宰府市の『水城跡』

放送後記

日本遺産。
その裏には数々の歴史的なドラマ・魅力的なストーリーが隠されています。
JAPAN HERITAGE~ラジオ日本遺産~。

今回は、「古代日本の『西の都』~東アジアとの交流拠点~」と題した福岡県の日本遺産の中から大宰府市の『水城跡』をご紹介しました。
 
JR水城駅からおよそ徒歩1分、木々に囲まれた長い丘が東西に続くのが見えてきます。
ここが、大宰府の防衛施設であり、観光の入り口でもあった「水城跡」です。

「水城」は、「白村江の戦い」で敗北した翌年の664年、
博多湾から侵攻してくる敵を予想し、大宰府を守る城壁として築かれたと言われています。

その規模は全長1.2km。幅80m、高さ平均9m。
これらの全てが、人の手によって作り出された、土の堤防なのです。

水城は大宰府の関門の役割も果たしていました。
東門は、都から大宰府へと朝廷からの役人を迎える門、
西門は、外国使節や、アジアへの留学僧などが往来する門。
この二つの門は人々の出会いと別れの場となり、そこから数々の物語が生まれました。


現在の水城跡は、桜並木や雑木林となっています。


東門跡には門の礎石の他、展望台が出来ており、水城跡を一望する事が出来ます。
桜やコスモスの季節になると、素晴らしい景色が広がるそうです。

また展望台付近には、2017年4月に「水城館」という名の展示館もオープンしています。
水城をはじめ、大宰府全般の史跡について美しい映像を見る事ができます。


ぜひ、あなたも日本遺産へ。新たな日本の魅力を再発見してくださいね。