『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』第144回

気になるアーティストを50音順に、坂崎幸之助が独断と偏見で 紹介している≪坂番洋楽データファイル≫(略してSYDF) 今回は「ハ」の付くアーティスト12回目!


↑↑ 今回は“えいこぱんだ”さんからのリクエスト招き猫ポーズ。

『パール・ジャム(Pearl Jam)』
★1990年、ワシントン州シアトルで結成された男性5人組のロックバンド。
デビュー当時は『ニルヴァーナ』と共に
“オルタナティヴ・ロック”の中心的グループとして注目を集めます。
当時アメリカ各地から、数々のオルタナ系のバンドが出ましたが
『パール・ジャム』は『ニルヴァーナ』等と一緒に“シアトル系”“グランジ系”として大人気に!
そんなオルタナ、グランジ系の代表的なバンド『パール・ジャム』は
アルバム4枚が全米アルバムチャート初登場1位。
グラミー賞でも「最優秀ハードロックグループ賞」受賞し大成功を収めています。
  ♪ラスト・キッス(Last Kiss)
   *1999年・全米2位を記録。
   *元々はファンクラブ向けのクリスマスソングとして
    レコーディングされ、最大のシングルヒットとなった曲。

『バリー・マニロウ(Barry Manilow)』
★1943年6月17日、ニューヨーク・ブルックリン生まれ(74歳)
本名:バリー・アラン・ピンカス(マニロウというのは母親の旧姓)
子供の頃から、ジャズやスウィングのレコードを聴き、
高校卒業後は名門ジュリアード音楽院に入学。
勉強のかたわら、TVドラマやミュージカル、そして有名なコーラ&
世界的なハンバーガーやフライドチキンのチェーン店などの
CMソングの作曲で金銭的には大成功を収めています。
そんな彼がシンガーソングライターとしての活動を
本格的にスタートしたのは1973年のデビューアルバム『バリー・マニロウ』から。
セールス的には苦戦したものの業界的には注目を集めました。
そして翌1974年リリースの2ndアルバム
『バリー・マニロウ2』からのシングルは見事大ヒットを記録。
  ♪哀しみのマンディ(Mandy)
   *翌1975年・初の全米1位。
   *作曲:スコット・イングリッシュ、作詞:リチャード・カーという
     職業作家チームによるもの。
★シンガーソングライターのバリー・マニロウとしては、
この「哀しみのマンディ」は自分で作った曲ではないので、
レコーディング当初はかなり抵抗があったとか。
そんな思惑とは反対に、1975年3枚目のアルバム『歌の贈りもの(Tryin' To Get The Feeling)』からも
バリーの代表曲となるヒットが生まれています。
  ♪歌の贈りもの(I Write The Songs)
   *1976年・全米1位。
   *ビーチ・ボーイズにも参加したブルース・ジョンストン作。
★「哀しみのマンディ」同様「歌の贈りもの」も自分の曲ではなかったため
最初は抵抗したそうですが、「せめてアレンジとプロデュースは
やらせて欲しい」ということでレコーディングを実行。
ちなみに1976年の4枚目のアルバム『想い出の中に(This One's For You)』からの
「想い出の中に」もリチャード・カーとウィル・ジェニングスという
職業作家チームによる曲ですが全米1位を記録しています。
そんな彼が自分で作った歌で、最も有名なのが1978年発売のアルバム
『愛と微笑みの世界(Even Now)』収録の↓次の曲です。
  ♪コパカバーナ(Copacabana)
   *1978年・全米8位。
★1970年代、80年代、90年代、そして2000年代に入っても
次々に話題のアルバムをリリース、どれもが大ヒット。
そしてコンサートも精力的に行なっています。
  ♪ワン・ヴォイス(One Voice)
   *1979年発表のアルバム『ワン・ヴォイス(One Voice)』から。
    発売当初からライヴでは会場全体で大合唱される大定番の名曲。
   *バリー自身による多重録音のア・カペラ曲。
    シングルカットはされてません。
★つい先日も、この坂番ではバリー・マニロウの最新作を紹介したばかり。
まだまだ元気に活動中です。

『ハロルド・フォルターメイヤー(Harold Faltermeier)』
★1952年10月5日、ドイツ・ミュンヘン出身の映画音楽作曲家。
6歳からピアノを習い始め、1978年にドナ・サマーなどの
プロデューサーとして有名なジョルジオ・モロダーに認められ、アメリカに渡ります。
そして1980年代、シンセサイザーを駆使したセッションキーボード奏者として活躍後、
映画音楽の世界へ。
彼を一躍有名にしたのが、1984年に公開され世界的な大ヒットとなった
エディ・マーフィー主演の映画『ビバリー・ヒルズ・コップ』。
このサントラ盤からはグレン・フライ「ヒート・イズ・オン」をはじめ
数々の収録曲がシングルカットされヒット。
音楽監督をつとめたハロルド・フォルターメイヤーが作った
エディ・マーフィー演じる「アクセル・フォーリー」のテーマ曲も大ヒット!
  ♪アクセル・フォーリーのテーマ(Axel F)
   *シングルカットされた1985年・全米3位まで上昇。

『ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルーノーツ(Harold Melvin & the Blue Notes)』
★1939年6月25日、ペンシルベニア州フィラデルフィア出身の
ハロルド・メルヴィンが中心となり結成した男性5人組のソウルグループ。
最初はなかなかヒット曲が出なかったもののメンバー交替を繰り返し、
1970年に3代目のリードシンガー/テディ・ペンダーグラスを迎えたあたりから、
数々のヒット曲が誕生。
そんな彼らの代表曲であり最高のヒットとなったのが↓次の曲。
  ♪二人の絆(If You Don't Don't Know Me By Now)
   *1972年・全米3位を記録。
★1976年、リードシンガーのテディ・ペンダーグラスがソロ活動のため脱退。
グループの存続も危ぶまれましたが約20年後の1997年に
ハロルド・メルヴィンが亡くなるまで継続しています。

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