会津仏教文化発祥の地、慧日寺跡

京都、鎌倉と並ぶ「仏教の都」会津の中心地でもありました。


今回は「会津の三十三観音めぐり~巡礼を通して観た往時の会津の文化~」と題された福島県の日本遺産の中から:慧日寺跡をご紹介しました。

福島県西部に広がる会津。新選組や白虎隊など、幕末ドラマの舞台で知られる場所ですが、実は古くから京都、鎌倉と並ぶ「仏教の都」としても知られています。

会津に仏教を広めたのは「徳一」というお坊さんです。
徳一は、当時仏教界での有力者だった最澄や空海と論争を繰り広げる程の大物でしたが、仏教の力で多くの人々の心を救いたいという思いから、東北の地へ向かいました。
807年、現在の磐梯町に「慧日寺」を造営。
会津の仏教文化はここから広まっていったといわれています。


平安時代には、僧侶の数およそ300人、慧日寺に属するお寺が3800を数えるほどの栄華を極めましたが、戦国時代に入り徐々に衰退していき、明治の廃仏毀釈によって、慧日寺は廃止されました。

しかし、昭和45年に、東西12キロ、南北8キロにわたる広大な慧日寺跡が国の史跡として指定された事により復興計画が進み、2008年には、お寺の象徴である金堂が、平安時代の建築技法によって復元され、古代慧日寺の面影を感じる事ができるようになりました。



この慧日寺跡では、毎年様々な催し物が行われていますが、中でも毎年8月に行われる、「ともし火と仏教声楽の夕べ」はオススメ。



「声明(しょうみょう)」と呼ばれる、仏教の儀式で唱えられる伝統声楽が、ともし火で荘厳に浮かび上がる金堂に響き渡り、まるで時代を巻き戻したかのような幻想的なひとときを過ごすことが出来ます。

豊かな自然と、今もなお息づく会津仏教文化発祥の地、訪れてみてはいかがでしょうか。

ぜひ、あなたも日本遺産へ。新たな日本の魅力を再発見してくださいね。