2017.2.8~ 「日本に帰国した理由。担当した数々のアーティスト」

第124回 ゲストは、メイクアップアーティスト、 TAKAKOさんです。 http://ameblo.jp/takako-ameblo/

10代でロンドンで筆を握ってから30年になり、
美の集大成本『TAKAKO THE BEAUTY BOOK』が発売されました。

中には、画家になりたかったというTAKAKOさんが描く
絵と言葉も掲載されています。
そんな杏子の好きな言葉は、
“孤独は、愛おしいモノのシルエットが
くっきりと浮かび上がる大切な時間”。

「いろんなメイクが、70年代、80年代は
 過去のものになってますが(笑)
 リバイバルで巡ってくるからね。
 今年は80年代のチークの入れかた流行ってるから」

TAKAKOさんがメイクで1番大切にしているのは、”ベースメイク”。
80年代、陶器肌が流行しましたが、
ニューヨークでは、徐々にノーファンデーションの時代になり、
コンシーラーとパウダーだけになったそう。
「本来人間が持っているツヤ感、を表現することで、
 オートクチュールのドレスが映える、っていうと感覚になってたわけよ。」
当時、日本は厚塗り大国。
日本とニューヨークを行き来していたTAKAKOさんは、
日本に”ツヤ肌”をどんどん持ち込んでいきました。

19歳の時のTAKAKOさんの作品は、
すでにモードで、シネマな雰囲気。
「卒業作品。これ自分の服で、安い帽子と1930年代のキセルを見つけて、
 モノトーンで、この時は、マットな肌ですよね。」
当時コンピューターも無く、修正ができません。
TAKAKOさんの技術の素晴らしさを感じ取ることができます。

「哲学は、その人の持つ、顔の無限の可能性を引き出す!
 押し付けるのではなく、どうやったら最大限に美しくなるか、かな。」

メイクアップアーティストと、ミュージシャンは、
密接で、心も近い存在です。
「いろんなミュージシャンのラストコンサートやってきましたね。
 YUKIちゃんとか、SPEEDとか。最後いつも一緒ですね。
 そういう時の気持ちってナーバスだし、熱入っているし、
 だから、各界の方々に勉強させていただいて。
 工藤静香ちゃんも、アジアツアーもつきっきりでしたね。」
工藤静香さんと、工藤さんの専属スタイリストの方は、
TAKAKOさんにとって、日本の芸能界のいろはを教わった人物でした。

「日本に帰国したのは、ニューヨークの治安が良くなくて。
 私も町でナイフで刺されそうになったし。
 その時、渋谷系だなんだって、日本が盛り上がって元気があったんですよ。
 だから、日本に自由があって、楽しそうだなー日本帰ろっかな〜って」

M1. 奏(かなで)re:produced by スキマスイッチ / スキマスイッチ
M2. Breakout / Swing Out Sister
M3. スウィート・ソウル・レヴュー / Pizzicato Five