2016.09.14~ 「 演劇、そして歌へ。波乱万丈な人生 」

第103回 ゲストは、歌手のクミコさん。

生まれは茨城県水戸市で、育ちは埼玉県。
中学校の文化祭では、シェイクスピアの戯曲”リア王”で
リア王を演じた思い出があるそう!
「演劇部に男の子が誰もいなくて、
 転校してすぐリア王役になっちゃって(笑)」
杏子は、いじわるなお姉さん役を学生時代にやったことも。

演劇をやりたい、と思い、早稲田大学教育学部に入学されます。
「でも私がやりたいと思っていた芝居とは全然違って。
 不条理演劇が盛んになってきたので、
 最初にもらった役が、”葬儀屋の令夫人A”だったんですよ。
 令夫人で!しかも、A!私だって名前が欲しいですよ(笑)」
その後、芝居の中で歌っていたことで、
歌の面白さに惹きつけられていったクミコさん。
そこからは、芝居をやめ、創刊されたばかりのピアを見た
“シャンソン カンツォーネ教室”へ通うように。

学校で友人にバンドに誘われ、卒業と同時に加入します。
「私あの日、学校に行かなかったら、どうなってたんだろう、って。
 大隈重信さんの銅像の前で会ったから、大隈さん有難う!って(笑)
 本当にたまたま、滅多に行かない学校だったのに。偶然。」
大学卒業後は、そのバンドでヤマハポピュラーソングコンテストに参加し、
世界歌謡祭にはソロ歌手として出場もされます。
「そこで、ドドっと落ちて。そこからがどうしよう、だめだなって。
 やることないから結婚したりして。  
 そこから、銀巴里歌いたいなって、なるんです。」
1982年に銀巴里のオーディションに合格、
1990年の閉店までいらっしゃいました。

「美輪明宏さんが最初っから最後まで中心でしたね。
 私は徹底的に社長に嫌われていたからクビかなって
 おもってたんですけど、銀巴里のが先になくなっちゃいましたね(笑)」
歌謡曲を、替え歌にして歌っていたクミコさんは、
異端児のような存在だったようです。
その後、小劇場『渋谷ジァン・ジァン』で
永六輔さんと関わりを持つようになります。
「前座でピアノの弾き語りをしたりしましたね。
 その時に、本当に永さんにはお世話になったし。
 クミコがカタカナになったのも、”つまらない名前だね”
 っていうことでカタカナにしたんですよ」

2010年、『INORI〜祈り〜』をリリースされ、
NHK紅白歌合戦に出場されます。
「戦後65年という年で。原爆で亡くなった
 禎子ちゃんという少女の思いを歌った歌です。」

M1. 空へ / 山崎まさよし
M2. ちょうちょ / クミコ
M3. INORI~祈り / クミコ