日本の避難所はなぜ変わらないのか

2020年7月8日Slow News Report



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速水:Slow News Report 今日はフロントラインプレスの木野龍逸さんにスタジオに来て頂いています。先月から今月にかけて各地で記録的な大雨がありました。一部地域では避難所が開設されていました。今日は「もし自分が避難所に行かなければいけない状況になったら」ということを考えたいと思います。豪雨災害に限らず、地震もありますし、日本列島どこでもリスクにさらされているわけですが、避難所に自分が行くということをイメージしながら聴いて頂きたいと思います。今日木野さんとお話しするテーマは「日本の避難所はなぜ変わらないのか」。コロナウイルスの感染症にも気を付けなければいけない状況での避難所生活というところなんですが、今の九州の状況なんかを見ても、やっぱり何らかの影響はありますよね。

木野:私自身が取材に行ったわけではないので報道の写真等を見ただけなんですけれども、パーテーションを置くのはまあ当然として、スペースをすごく開けたりしていますが、そうすると避難所に収容できる人数が計画よりはだいぶ少なくなると思うので、その辺の対応がどうなっているのかというのも気になるところです。

速水:比較的安全な場所にみんなで集まるんだというのが避難所の考え方の基本なんですが、集まりすぎてはいけないという中で、運用のあり方なんかも変わっていきます。そんな変化に臨機応変に対応することができるのか、みたいなことも含めて問われる避難所問題について考えていきたいと思います。木野さんは去年の台風19号の影響を受けた長野県千曲川流域を取材されたということなんですが、避難所を実際に取材されてどうだったんでしょうか。


段ボールベッドがなぜ必要なのか

木野:私が行ったのは長野市のある小学校なんですけれども、長野市の中では一番規模が大きいところで、伺った時点で200人前後が入っていました。僕が行った時にはもう段ボールベッドが置いてあって、マットも配布されていて、きちんとパーテーションも切ってあり、比較的状態が良かったのかなとは思いました。

速水:「段ボールベッド」って最近言われるようになったものだなという気がするんですが。

木野:避難所学会という民間の組織があるんですけれども、自治体等に交渉してできるだけ早い時期に段ボールベッドを導入しましょうということをやったりしています。一部の自治体では備蓄も始まっていて、場所によっては揃うところもあると聞いているんですけれども、長野の場合がそうだったんです。けれども、受け入れ側で段ボールベッドというのを想定していないと、避難所にいくつ入るのかという計算から始めなきゃいけなかったりして、入れるだけで何日もかかったり、自治体によっては「段ボールペットが何の役に立つんだ。今はそんなことをやってる場合ではない」と言われて受け入れを拒否されるようなケースもあったと聞いています。

速水:一つメッセージを読みます。「日本の避難所で気になるのは段ボールベッドです。人吉市では搬入されたけどすぐに強度不足で撤去されたという話を聞きました。段ボールベッドどれくらい耐久性があるのでしょうか」というメッセージなんですが。

木野:避難所学会の方で入れているベッドは少なくとも、最初の一時避難所と言われてるところで過ごす1~3週間という期間はちゃんともつとされています。

速水:使い方にもよるというところもあるし、ひょっとしたら湿度が高かったら壊れやすかったりする可能性もありますけど、床に寝るのとは随分違いますよね。

木野:床に寝るのとは雲泥の差だと思います。段ボールベッドを入れればマットも置けますし、床は時期にもよりますけどやっぱり冷たいですし、人が歩けば振動はあるし、埃はまうし、感染症や風邪の原因にもなります。また、段ボールベッドが無い場合ではエコノミー症候群になるケースが非常に多いとも言われています。

速水:床に直接正座はしないかもしれないんですが、足を投げ出して座るだけでもずいぶん状況は変わるということですね。実際避難所では血栓ができやすいみたいなことはあるんでしょうか。

木野:避難所学会の方で榛沢和彦先生という新潟大の先生がいるんですが、この方が避難所のあちこちで調べたところ、段ボールベッドを置いてあるほうが血栓ができる率は圧倒的に下がると言っています。


避難所でのプライバシー確保の重要性

速水:その重要性は指摘されているんですが、それが現場に届くかどうかという問題もありますし、先ほどもプライバシーという話少ししたんですが、ライフラインというと「水」「電気」「食料」みたいなことが必要だよねというのは分かるんですが、避難所にプライバシーが必要というのはどういうことなんでしょうか。

木野:避難所といっても全てを我慢すればいいという話ではないですし、プライバシーがないことで生活の質が落ちるということもあります。あとは気持ちの問題ですね。個々人の平時を保つという意味でもプライバシーは最低限必要ですし、性犯罪の防止という部分も含めて、きちんとそれは確保されるべき最低限のものはあると考えられています。

速水:「災害ユートピア」というレベッカ・ソルニットが提唱している言葉があります。災害時にはみんな助け合おうというような気持ちが芽生えるということについても研究されたりしているんですが、一方でみんな協力しなきゃいけないということを無理強いする例もあります。個々にパーテーションを組むことによって、ある程度維持できるプライバシーみたいなものを作った方が、避難所生活が長引く場合にも必要なんだということが認識されてきているというのはありますよね。

木野:非常時を乗り切るという時に“我慢”とか“絆”とか“美徳”とか“良識”とか“根性”でという話は、まあそれはいらないとは言わないですけれども、日本の避難所の状況というのは、国際的な難民支援の最低基準を下回ると言われているので、そういう状況を放置したまま運営を続けていくというのは非常に人権的にも問題があります。それが人の生命や生活にも非常に悪影響を与えるものだと思います。

速水:避難所のあり方みたいな研究も進んできている部分もあると思うんですが、一方で今日のテーマは避難所がなぜ変わらないのかということです。日本の避難所は昔から変わっていないと思っていいのでしょうか。


被災者でもある自治体にまかせてしまうことの問題

木野:そうですね。段ボールベッドやパーテーションを設置するというのはさすがにここ10年くらいに徐々に出てきていますけれども、海外ではTKBといって、トイレ、キッチン(食事)、ベッド、これを三日間以内に揃えるという最低基準で運営してるところもあります。イタリアがそうなんですけれども、三日で食事とトイレとベッドを揃えるというのは日本の状況を考えても全くできてないと思うんですね。

速水:そこができていない理由はなんなのでしょうか。

木野:色々あるんですけれども、一つ大きいなと思うのは、避難所の運営が自治体に任されている制度上の問題があると思います。自治体も被災の当事者であって、その人たちに避難所の運営から何から何まで、物資の調達も含めて担わせるというのは、制度上あるいは人権上非常に問題があるという指摘もあります。

速水:もし地元の自治体以外が避難所開設の主体になるという場合、例えば国などのもっと大きい主体が運営担当するべきということですか。

木野:そうですね。例えばイタリアは国がそういう組織を持っていて、災害時に独自で動けます。また、備蓄も国の方で持っていて、災害被災地の自治体に届けるというのは国が役割を担っています。アメリカにもFEMAという組織があって、そこが主体的に動いていくということになっています。

速水:ただ一方で、現地の地形であるとか、その場所に住んでいる人たちのことをよく知っているのは地元の自治体現場であって、そこの乖離みたいなもの問題になったりもしそうですが。

木野:日本では自治体に任されているというのは、自治体が現場を知っているからというところが大きいと思うんですけれども、その辺は役割分担をきちんとして、当然現場を知っている人と連携をしつつ、でも物資はどこから来ても同じじゃないですか。そういう国でできるところは国で、現場でやるところは現場でというように、もう少し状況を整理する必要があると思います。

速水:いくつかメッセージを読みたいと思います。「避難所を体験した知人曰く、体育館だと小さな音が響くらしいです。スマホのメールを落ち込むピプピプ音が響き渡るとか」というメッセージ頂きました。プライバシーの問題といった場合、いろんな問題があるんですけど、隣の音すら気になるみたいなことありますよね。

木野:僕自身は避難所には取材でしか入ったことないんですけれども、音は確かに分かりますね。

速水:もう一つメッセージ「避難所が土砂崩れの恐れのある近くにある場合、避難すべきかどうか迷います。こんな場合は避難せず、今いるところにとどまった方がいいのでしょうか」という質問が来ています。

木野:これは難しいですね。ただ常に避難所、あるいは自分の家の状況が災害時にどうかというのは確認する必要はあると思います。そういう意味では、自宅に留まるという選択肢も当然出てくると思いますし、避難所に行くというのは必須ではないのですが、難しいところですね。

速水:この番組は東京ローカルなので東京の人たちが聞いているケースが多いと思うんですが、東京でも避難所はもちろん用意されているわけですけれども、家の中にいた方が安全な場合はなるべく家にいてくださいということも、今は言われますよね。

木野:水害だとちょっと状況は違うんですけれども、地震の場合は、自宅にとどまった方が良い場合というのもあると思います。

速水:もちろん避難所をまず把握している必要はあると思うんですよ。でも臨機応変に、この場合は家にいた方が安全かもしれないということを自分でやっぱり判断しなきゃいけないですね。

木野:そう思います。都市部は当然避難所に行く人数も多いと思いますし、それからこれは都市生活に限らずなんですが、お年寄りの方や介護が必要な方がいるために避難所では生活が難しいという方が一定数出てくるので、そういう方々はやっぱり自宅で避難をするということも選択肢にあると思います。

速水:もうひとつメッセージです「私はおととし9月6日の胆振東部地震の時に住んでいるマンションが停電、断水してしまい、避難所で一夜を過ごしました。高齢の方が多く、各個人間の仕切りもなかったため、私は話し相手になる時間かなりありました。トーク好きだからよかったのですが、普通は耐えられないかも」というライバシーの話ですね。高齢の方が多いというのは都市部であろうが地方であろうが、今の日本が同じ問題を抱えていると思うんですが、高齢者の場合、自宅の方が良い場合もありますが、一人暮らしの高齢者だったりする場合に、近所の方が顔見知りであるとか重要になってくるケースもありますよね。

木野:そうですね。自分で動けないお年寄りもいると思いますし、ただ一方でやっぱり避難所がその方の生活に合っているかどうかということもあるので、この辺は今後も長く継続的に課題として残っていく部分だと思います。


我慢せずに声を上げていくことも必要

速水:ちょっと話を本題に戻したいと思うんですが、イタリアであるとか海外の事例と比べて日本の避難所がどうしても変わらない部分があると思います。避難所のガイドラインの中身を変えていくということは行われているのでしょうか。

木野:ガイドライン自体は実は何度か改定をしていて、一番新しいものは確か平成26年くらいだったと思います。ただガイドラインはあるんですが、細い数字上の基準や仕組みが細かくが書いてあるのではなく、割と大まかな全体の概略のような、「こういうシステムを整えましょう」というものです。また、あくまで努力義務であって、必ずやらなければいけないというものではないので、そのために自治体によって対応が違ってしまっています。

速水:本当に色んな所で災害が起こり得る状況の中で、自分事として捉えるみたいな、個々の認識も変えていかなきゃいけないですよね。

木野:そうですね。我慢して根性で乗り切るというような考え方ってすごく日本的だと思うんですけれども、やっぱりシステムとして、制度としてきちんと整えていって、最低限必要な物資はそこに並べるであるとか、そういうことは必ずやらなければいけないことだと思います。これは気持ちの問題というよりも、人の健康、命に関わる問題でもあるので、制度としてきちんとやっていくべきものがまだ残っていると僕は思います。ただこれは一方で、下から上に意見をあげていくという制度、例えば自治体から上がってきた意見は国の方で対応するというふうに仕組み上もなっているので、意見をどんどん上に上げていって、状況を変えていくということも必要かなと思います。

速水:避難所にいる人達は我慢しなきゃとかという部分が心理的にあって、今強いられている状況に対して、ちょっとこれが足りないんじゃないかみたいなことってなかなか言いにくいんですが、逆に言うことも必要なんですね。

木野:そうだと思います。もちろんやたらめったら言っていけばいいということではないと思うんですけれども、その辺のバランスがものすごく難しくて、個々人の人間性にもよってしまうと思うんですが、一方で状況がまずいという部分があれば、それは改善していかないと人の生死に関わることでもあると思います。ですので、直すべきところはきちんと直していくというのは必要だと思います。

速水:個人のわがままではなく、それが情報として伝達されることで、他にも同じような悩みになっている部分が解決されるかもしれない。そういう可能性も踏まえ、必ずしもわがままが悪いわけではないということなのかもしれません。自分が避難所に行ったらという想像のお話、今日はお伺いしてきました。木野さん、ありがとうございました。