『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』第105回
←1963年(初年度)の
ギブソンDOVE(ナチュラル)
ディーン・マーチンはちょっと古過ぎるし、
他の人達はあんまり馴染みがなかったSYDFでした。
勉強になるなぁ、このコーナー。
団しん也さんに久々にお会いしたくなりました。
『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』第105回
今回のSYDFは「テ」で始まるアーティストの8回目。
ラインナップは・・・
『テイラー・デイン(Taylor Dayne)』
★1962年3月7日、アメリカ・ニューヨーク州ボールドウィン生まれのダンスポップ系シンガーソングライター。
本名:レスリー・ワンダーマン。
高校卒業後、地元のロックバンドで歌ってたところ25歳の時にレコード会社のスカウトマンの目に留まり、
1年の準備期間を経て1988年26歳にしてデビュー。
元々は、ロック系のシンガーでしたが当時の世界的なダンスミュージックブームに乗ってダンスナンバーでデビュー。
♪テル・イット・トゥ・マイ・ハート(Tell It To My Heart)
*オーストラリア・オランダ・ドイツ・スイスで1位、イギリスで3位、本国アメリカでも7位を記録し大ヒット。
*この曲も収められたデビューアルバム『Tell It To My Heart』 からは、他にも4曲がシングルカットされ大ヒット。
★翌1989年リリースの2ndアルバム『キャント・ファイト・フェイト』からも4曲のシングル全てが大ヒット。
♪愛に帰りたい(Love Will Lead You Back)
*アルバム『キャント・ファイト・フェイト』からのシングル。
*1990年、初の全米1位を獲得。
『ディール(The Deele)』
★1981年、オハイオ州シンシナティで結成された6人組のR&Bグループ。
1983年にアルバム『ストリート・ビート』でデビュー。
1stアルバムからのシングル「ボディ・トーク」は全米R&Bチャートでは3位。しかし、2ndアルバムは残念ながら不発。
そして1987年に発表された3rdアルバム『アイズ・オブ・ア・ストレンジャー』からシングルヒットが誕生。
♪トゥ・オケージョンズ(Two Occasions)
*1988年、R&Bチャートでは4位、全米シングルチャートでは10位。
*2ndボーカルとしてビブラートのかかった優しい歌声を聴かせてくれるのが、
後にプロデューサーとして数々の大ヒットを連発するベイビーフェイス。
『ティル・チューズディ('Til Tuesday)』
★1983年、マサチューセッツ州ボストンで結成された女性1人、男性3人からなる4人組のロックグループ。
紅一点でボーカルのエイミー・マンは名門バークリー音楽大学に入学するも中退。
ヤング・スネイクスというパンクロックバンドを結成し、そのグループ解散後、
大学時代の仲間と作ったグループが「ティル・チューズディ」。
地元ボストンでのバンドコンテストで見事、優勝し、1985年シングル「愛のヴォイセズ」でレコード・デビュー。
♪愛のヴォイセズ(Voices Carry)
*1985年、全米8位まで上昇。
*MTVビデオミュージックアワードで最優秀新人賞を獲得
★翌1986年に2ndアルバム『ウェルカム・ホーム』を、1988年に3rdアルバム『エヴリシングス・ディファレント・ナウ』を発表。
しかしヒットに恵まれず1989年解散。ボーカルだったエイミー・マンは、すぐにソロ活動をスタートさせますが、
グループ時代の所属レコード会社との契約問題が原因で約4年間、アルバムを発表出来ない状態に。
そして1993年、やっとソロアルバム『ホワットエヴァー』を発売。
その後、映画界から注目を集め数々のサントラ盤に参加。
1997年、俳優ショーン・ペン(元マドンナの夫)の実の兄であり、シンガーソングライターのマイケル・ペンと結婚。
そんな彼女の映画関係の仕事の中から、ビートルズ・ファンにはおなじみの映画『アイ・アム・サム』から
エイミー・マンとマイケル・ペンとのデュエットを。
♪トゥ・オブ・アス(Two Of Us) /エイミー・マン&マイケル・ペン
『ディーン・マーティン(Dean Martin)』
★1917年 6月7日、オハイオ州スティーベンヴィル生まれ。
イタリア系アメリカ人で本名はディノ・ポール・クロセッティ。
高校中退後、禁酒法時代のヤミ酒場をはじめ、ボクサー、バーの用心棒や、
違法ルーレットのカジノディーラー等々、危ない仕事の数々をこなします。
そして1940年代初頭、クラブまわりをしていた楽団の専属歌手に。
その時、本名のディノ・クロセッティから、ディノ・マルティーニに変え、
さらに、バンドリーダーからの助言を元に「ディーン・マーティン」に改名。
1946年、クラブ歌手として活動中ニューヨークで当時、無名だったコメディアン
「ジェリー・ルイス」と知り合い即興のコンビとしてクラブに出演。
これが映画関係者の目に留まり、映画『底抜けシリーズ』(1949-1956)が大当たり。
♪想い出はかくの如く(Memories Are Made Of This)
*1955年、全米チャートで6週連続のナンバーワン獲得。
★1956年、ジェリー・ルイスとコンビを解消した後、
同じくイタリア系アメリカ人のフランク・シナトラに誘われ「シナトラ一家」に参加。
サミー・デイヴィス・ジュニアなどと共に、映画・ステージ等で大活躍。
そんな中、彼のコンサートなどでの登場テーマ曲となった曲が、1964年見事全米ナンバーワンに輝きました。
♪誰かが誰かを愛してる(Everybody Loves Somebody)
*日本では「団しん也さん」のモノマネでもおなじみ。
★晩年は長年の不摂生がたたって体調を壊したディーン・マーティン。
1995年12月25日、肺ガンに併発した肺気腫により亡くなっています。享年78歳でした。
次回 「坂崎さんの番組」という番組
『坂崎音楽堂』アメリカの未発表音源集「ロスト&ファウンド」特集