『坂番洋楽データファイル』第104回
←マーチンギターの最高峰に施される
貝殻細工「Tree of Life」パターン
T・レックス、改めて聞くと
ギターもサウンドも軽いんですねぇ。
当時はもっともっとハードだと思ってた。
でもマーク・ボランの存在感はすごかったですね。
高見沢少年が憧れたのもわかる気がします。
(ライブ見るまでは。笑)
『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』第104回
今回は「テ」で始まるアーティスト特集の7回目。
『ティミー・T(Timmy T)』
★1967年9月21日、アメリカ・カリフォルニア州生まれのシンガーソングライター。
本名は「ティモシー・トーレンス」。1990年にデビュー。
3曲目のシングルとなった「ワン・モア・トライ」が、当時のバラードブームに乗って全米ナンバーワンに輝いています。
♪ワン・モア・トライ(One More Try)
*1991年、全米チャート1位を獲得。
『ディー・ライト(Deee-Lite)』
★1986年、ニューヨークで結成されたハウス/ダンス・ミュージック・グループ。
結成当初はロシア人DJ:ディミトリーとダンサーでボーカリストのレディ・ミス・キアーの2人組でしたが、
1990年、ニューヨークの美術大学に留学中だった「テイ・トウワ」が参加、3人組としてデビューします。
世界の坂本龍一も才能を認めた「テイ・トウワ」サウンド(当時はまだマイナーだったハウス・ミュージック)のシングルは大ヒット。
♪グルーヴ・イズ・イン・ザ・ハート(Groove Is In The Heart)
*1990年、全米4位まで上昇。
★当時マイナーだったハウス・ミュージックのシングルを大ヒットさせ、
ポピュラー音楽界で認められた最初のグループと言われている「ディー・ライト」。
1992年に音楽的中心人物のテイ・トウワがメンバーとの音楽的方向の違いや、
体調不良などを理由に脱退するとグループは一気に推進力を失い1996年に解散。
『T・レックス(T.Rex)』
★1967年、イギリスでボーカルとアコースティックギターの「マーク・ボラン」(1947年9/30生まれ)と
パーカッションの「スティーヴ・トゥック」の2人が【ティラノザウルス・レックス】の名でフォークロックグループとして結成&デビュー。
1970年、バンド名を【T・レックス】と改名。サウンドも、フォークからグラムロックに変身。
「ライド・ア・ホワイト・スワン」が全英2位、続いて「ホット・ラヴ」が初の全英1位獲得と大ヒット。
これらのヒットの後、1971年にベースとドラムを加え4人組に。
4人になった最初のアルバム『電気の武者(Electric Warrior)』は全英アルバムチャートでナンバーワンを記録しています。
♪ゲット・イット・オン(Get It On)
*『電気の武者』からのシングル。
*1971年に全英1位、1972年に全米10位を記録。
♪テレグラム・サム(Telegram Sam)
*1972年リリースのアルバム『ザ・スライダー』からのシングル。
*全英シングルチャートでは1位を獲得。全米では67位止まり。
♪メタル・グルー(Metal Guru)
*同じくアルバム『ザ・スライダー』からのシングル。
*全英1位を獲得するも、全米では100位内にも入らず。
♪イージー・アクション(Solid Gold Easy Action)
*1972年に全英2位。全米ではチャートインせず。
*ギターにELOのジェフ・リンが参加。
*シングルとして発表されたこの曲は、当時アルバムには収録されず
ベスト盤『グレイト・ヒッツ』(1972)のみに収められました。
♪20センチュリー・ボーイ(20th Century Boy)
*1972年の初来日時、日本でのレコード会社(東芝EMI)のスタジオでレコーディングされたシングル曲。
*1973年、全英3位。全米ではチャートインせず。
★この曲を境にT・レックスの人気も下降線をたどり、彼らが中心に活躍したグラムロックブームもしぼんでいきました。
生前「僕は30歳までは生きられないかも・・・」と語っていたマーク・ボラン。
1977年9月16日、愛人の運転するクルマで事故に遭い亡くなっています。
享年29歳、何と30歳の誕生日の2週間前の出来事だったそうです。
次回「坂崎さんの番組」という番組 ゲスト:黒沢秀樹さん