坂番洋楽データファイル ディープ・パープル・スペシャル
改めてディープ・パープルを、と言った感じですが
こうして聞いてみると、メンバーが
こんなにも代わってるバンドも珍しいですなぁ。
それもメインのヴォーカリストやギタリストですから、
ウチで言えば高見沢や桜井がメンバーチェンジして
他の人が入る、ってな感じですよね。ありえねえ(笑)。
『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』第103回
「テ」で始まるアーティスト特集、
今回は≪ディープ・パープル・スペシャル≫!
『ディープ・パープル(Deep Purple)』
★1968年 イギリス・ハートフォードで結成された5人組。
結成時のメンバーはキーボード「ジョン・ロード」、
ギター「リッチー・ブラックモア」、ドラムス「イアン・ペイス」、
ベース「ニック・シンパー」、ボーカル「ロッド・エヴァンス」。
1968年5月 デビューアルバム『紫の世界(原題:shades of Deep Purple)』リリース。
ここからシングルカットされたのが、アメリカのシンガーソングライター、
ジョー・サウスが作った「ハッシュ」という曲のカバーバージョン。
♪ハッシュ(Hush)
*1968年、全米チャートで最高4位。
★元々寄せ集めのバンドだったディープ・パープル。
結成からわずか1年ほどで、リードボーカルの「ロッド・エヴァンス」と
ベースの「ニック・シンパー」の2人が脱退。
新メンバーとなったのは、ボーカル「イアン・ギラン」とベース「ロジャー・グローヴァー」。
1970年 このメンバーで通算4枚目となるオリジナルアルバム
『ディープ・パープル・イン・ロック(Deep Purple In Rock) 』発表。
(全英アルバムチャート最高4位まで上昇)
普通であればアルバムからシングルカットするんですが、
レコード会社判断は「シングルにふさわしい曲がない」!
そこで、彼らは精一杯のキャッチーなシングルをレコーディング。
♪ブラック・ナイト(Black Night)
*1970年、全英シングルチャート2位を記録。
*日本ではハードロックのシングルとして異例のヒット(約10万枚の売上)を記録。
★結成当初から、ロックとクラシックの融合を提唱する
「ジョン・ロード」とハードロック路線を主張する「リッチー・ブラックモア」でしたが、
「ブラック・ナイト」の成功でグループとしてはハードロック路線を選択。
曲作りも「リッチー・ブラックモア」がメインで担当することになります。
1971年アルバム『ファイアボール(Fireball)』発表。
全英ではアルバムチャート初の1位。
しかし、アメリカでは32位といった成績。
そこで翌1972年、満を持して発表したのが名盤『マシン・ヘッド(Machine Head)』。
♪ハイウェイ・スター(Highway Star)
*この曲を含む名盤『マシン・ヘッド』は全英で1位。全米でも最高7位を記録。
★『マシン・ヘッド』リリースの年、1972年8月に初の来日公演。
そのLIVEの模様を録音した、ロックのライヴ盤としては歴史的な名盤
『ライヴ・イン・ジャパン』からシングルカットされ大ヒットした曲が↓
♪スモーク・オン・ザ・ウォーター(Smoke On The Water)
*1973年、全米4位を記録。
*このアルバム、最初は日本限定発売でしたが翌1973年
『メイド・イン・ジャパン(Made In Japan)』というタイトルで全世界発売。
プラチナディスクに輝いています。
★1973年、『マシン・ヘッド』に続くスタジオ録音のアルバム
『紫の肖像(Who Do We Think We Are)』をリリース。本国イギリスのチャートでは4位を記録。
♪ウーマン・フロム・トーキョー(Woman From Tokyo)
*1973年、全米60位。(イギリスではチャートインせず)
★1973年 2度目の来日公演のあと、ツアーによる疲労、元々からのメンバー間の不仲などが原因で
「イアン・ギラン」と「ロジャー・グローヴァー」が脱退。
すぐに、ベース「グレン・ヒューズ」が加入、しかしリードボーカルの人選は難航。
元フリーの「ポール・ロジャース」に依頼しますが、彼が自分のバンド【バッド・カンパニー】を始めていたため断念。
ついにはボーカリストの一般公募に踏み切ります。
そして、4,000人以上といわれる応募者の中から当時は全くの無名だった
「デイヴィッド・カヴァーデール」が選ばれ、第3期ディープ・パープルがスタート。
1974年、新生ディープ・パープルとして最初のアルバム『紫の炎(Burn)』リリース。
♪紫の炎(Burn)
*アルバム『紫の炎(Burn)』は全英3位、全米9位を記録。
★1975年4月 パリでのライヴを最後に、中心人物でオリジナルメンバーの
「リッチー・ブラックモア」が脱退。 グループは大混乱に陥ります。
そんな中、元ジェイムズ・ギャングのギタリストだった「トミー・ボーリン」が参加。
このメンバーで、1枚のアルバムをリリース。
しかし、その後1年足らずで「デイヴィッド・カヴァーデール」「トミー・ボーリン」「グレン・ヒューズ」といった、
あとから参加したメンバー3人が脱退。
残った「ジョン・ロード」と「イアン・ペイス」は事務所のスタッフと話し合い、“ディープ・パープル解散”を正式発表。
★時は過ぎ1984年、「ジョン・ロード」「リッチー・ブラックモア」「イアン・ペイス」
「ロジャー・グローヴァー」「イアン・ギラン」という黄金期のメンバーが集結。
ディープ・パープルが再結成されました。
そして再結成第1弾アルバム『パーフェクト・ストレンジャーズ』リリース。
♪ノッキング・アット・ユア・バック・ドア(Knocking At Your Back Door)
*アルバム『パーフェクト・ストレンジャーズ』は全英5位、全米17位を記録。
★このあと、ボーカルに「ジョー・リン・ターナー」が入ったり、「イアン・ギラン」が出戻ったり、
ギタリストが「ブラックモア」から「ジョー・サトリアーニ」「スティーヴ・モーズ」になったり、
キーボードも「ドン・エイリー」に交替しつつも、ディープ・パープル活動は続いています。
次回「坂崎さんの番組」という番組
ゲスト:松尾一彦さん