『坂番洋楽データファイル (略してSYDF)』 第95回
そうかぁ、チップマンクスが
「ケロケロ声」のオリジナルだったよね。
オール・マイ・ラヴィングは
確か小学か中学の時に聞いて
インパクトあったなぁ。
チープ・トリックもバラードが
No.1ヒットだったかぁ。特にアメリカでは
バラード好きが多いんですかねぇ。
『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』 第95回
SYDF今回から「チ」で始まるアーティスト特集に入りました。
ラインナップは・・・
『チェズニー・ホークス(Chesney Hawkes)』
★1971年9月22日、イギリス・バークシャー州ウィンザー生まれのポップロックシンガー。
「サイレンス・イズ・ゴールデン」でおなじみのポップロックグループ
「トレメローズ」のリードシンガー、レン・チップ・ホークスと、
TVタレントで女優のキャロル・ホークスの間に生まれました。
19歳の時、デビュー。 記念すべき1stシングルは
本国イギリスのシングルチャートでは見事ナンバーワン!
♪ザ・ワン・アンド・オンリー(The One And Only)
*1991年、マイケル・J・フォックス主演の映画『ドク・ハリウッド』
の挿入歌に採用されたこともあって、全米チャートでは
10位まで上昇。
『チップマンクス(The Chipmunks)』
★1958年、アメリカ・カリフォルニア州フレズノ出身の
ロス・バグダサリアン (芸名/デイヴィッド・セビル)が作り出した、
シマリスのアルビン、サイモン、セオドアの3人組によるチップマンクス。
最初、有名なTV番組『エド・サリヴァン・ショー』の幕間に狂言回し的に登場。
当時、3匹のシマリスは人形でしたが、のちにアニメ化され一躍お茶の間の人気者に。
ちなみに、印象的なアルビン達の声は、バグダサリアンが
テープレコーダーに録音した声の再生速度を変えたもの。
♪チップマンク・ソング(The Chipmunk Song)
*1958年、全米4週連続の1位。
★お茶の間の人気者になったチップマンクスは、
クリスマスアルバムを筆頭に数々の企画アルバムを発表。
そんな中、1964年にリリースされたアルバム
『The Chipmunks Sing The Beatles Hits 』
はビートルズ・ファンをはじめ多くの音楽ファンを魅了しました。
♪オール・マイ・ラヴィング(All My Loving)
『チープ・トリック(Cheap Trick)』
★1974年、シカゴ郊外のロックフォードで結成された男性4人組のロックバンド。
メンバーは、金髪の美少年ロビン・ザンダー(Vo)、
ベースボールキャップ&チェック柄のファッションでおなじみの
リック・ニールセン(G)、12弦の特殊仕様のベーシスト、
トム・ピーターソン(B)、 ポマード頭&メタルフレームのメガネ& 口髭
がトレードマークのバン・E・カルロス(バーニー・カルロス)(Ds)。
1977年、デビューアルバム『チープ・トリック』を発表するも、
本国アメリカでは全く売れませんでした。
その後のアルバム『蒼ざめたハイウェイ』『天国の罠』もアメリカでは不発。
しかし、クイーン、キッスしかり、彼らの人気と才能を信じた
日本のレコード会社の奮闘で日本では一気に人気バンドになりました。
♪サレンダー(Surrender)
*日本での人気を決定づけた曲。
*1978年、全米では62位止まり(アルバム『天国の罠』からのシングルカット)
★アメリカでは売れなかった3枚のオリジナルアルバム
『チープ・トリック』 『蒼ざめたハイウェイ』『天国の罠』でしたが、
日本でだけは3枚のアルバムが大ヒット。
それにともない、初の日本公演を武道館で行ない
日本限定で『チープ・トリックat武道館(At Budokan)』を発売。
彼らの友達のDJが、そのライヴからの1曲「甘い罠」をラジオで
かけたところ、全米の各ラジオ局でオンエアーされることに!
そしてアメリカでは『チープ・トリックat武道館』が全米4位まで上昇。
売上も300万枚以上を記録。
♪甘い罠(I Want You To Want Me) /チープ・トリック>
*1979年、全米7位。(from『チープ・トリックat武道館』)
★この『チープ・トリックat武道館』の成功で、それまで
本国アメリカでは売れてなかったオリジナルアルバム3枚もビッグセールスを記録。
そして、1979年、4枚目のオリジナルアルバムも全米6位と大ヒット。
♪ドリーム・ポリス(Dream Police)
*4枚目のアルバム『ドリーム・ポリス』から。
*1979年、全米シングルチャート26位。
★このあと、リーダーのリックと、ベースのトムが音楽的な衝突を起こしトムは脱退。
それと同時に次第に、人気もアルバムセールスも下降線を たどります。
が、しかし1987年にトムが復帰すると翌年1988年リリースの アルバム
『永遠の愛の炎(原題
)』が全米だけで100万枚以上のセールスを記録!
♪永遠の愛の炎(The Flame)
*1988年、全米シングルチャート1位。
★その後も、病気のバン・E・カルロス(バーニー・カルロス)(Ds)に
代わって、リック・ニールセンの息子、ダックス・ニールセンを
サポートメンバーとして、 精力的に世界中をツアーしています
次回 「坂崎さんの番組」という番組
『坂崎音楽堂』秋の夜長にお薦め!デュエット特集