『坂番洋楽データファイル 』第74回
←リクエストがあったギターを弾く背中!です。
やっとジョンにたどり着きました。
改めて聞いてもジョンのソロは
最初の頃はヨーコさんの影響がでかいっスねえ。
あとは、ちょいと暗めの曲が多かったですね。
ダブルファンタジーは、やっぱり名曲が多いわ。
40才かぁ。若かったんだなぁ。としみじみ...。
『坂番洋楽データファイル (略してSYDF)』 第74回
今回の「シ」で始まるアーティスト特集は【ジョン・レノン特集】
『ジョン・レノン(John Lennon)』
*ビートルズ時代の話や楽曲は「ヒ」の付くアーティスト
『ビートルズ大特集』の時にご紹介します。
★1940年10月9日、イギリス・リヴァプール生まれ。
1980年12月8日、マーク・チャップマンに撃たれ、
40歳という若さで亡くなっています。
前衛芸術家の小野洋子と2度目の結婚をしたジョン・レノン。
その小野洋子と『トゥー・ヴァージンズ』
『ライフ・ウィズ・ザ・ライオンズ』『ウェディング・アルバム』という
3枚の実験的なアルバムを発表。
しかし、本格的なソロ活動はビートルズ時代の1968年からスタート。
最初の作品が、プラスティック・オノ・バンド名義の「平和を我らに」
でした。
このあと、「コールド・ターキー」「インスタント・カーマ」を発表。
1970年4月10日、ポールがグループからの脱退宣言
(事実上のビートルズ解散)。
その年の末にジョンは実質的な1stソロアルバム
『ジョンの魂(John Lennon/Plastic Ono Band)』を
リリースしています。
♪マザー(Mother)
*1970年、全米チャートでは43位止まり。
本国イギリスではシングルカットされませんでした。
プロデュースはフィル・スペクター、ドラムはリンゴ・スター、
ベースはクラウス・フォアマン
★1971年6月、アルバム『イマジン』のレコーディングを開始した
ジョン・レノン。
参加ミュージシャンはジョージ・ハリスンをはじめ、アラン・ホワイト、
ジム・ケルトナー、ニッキー・ホプキンスなどで、秋に発表されると、
アメリカ、イギリス、日本などでナンバーワンに輝いています。
♪イマジン(Imagine)
*1971年、全米シングルチャート3位を記録。
★この「イマジン」のリリースを前に、活動拠点をニューヨークに移した
ジョン・レノンは、翌1972年に政治色の強いアルバム
『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』を発表。
続いて、1973年にはアルバム『マインド・ゲームス』をリリース。
♪マインド・ゲームス(Mind Games)
*1973年、全米シングルチャート18位。
★高評価の『イマジン』以降、やや低迷を続けていましたが
1974年には起死回生ともいうべきアルバム
『心の壁、愛の橋(Walls and Bridges) 』を発表。
『イマジン』に続き、ソロとしては2作目となる全米No.1アルバムに。
♪真夜中を突っ走れ(Whatever Gets You Thru the Night)
*1974年、ソロとしての初の全米1位を記録。
この曲にはエルトン・ジョンがゲスト参加。
★アルバム『心の壁、愛の橋』に続き、翌1975年には
フィル・スペクターをプロデューサーに迎え、カバーアルバム
『ロックンロール(Rock 'n' Roll) 』を発表。
ここからシングルカットされたのがベン・E・キングの
カバー曲でした。
♪スタンド・バイ・ミー(Stand By Me)
*1975年、全米20位まで上昇。
★1975年10月9日、ジョンとヨーコの子供、ショーン・レノン誕生。
これをきっかけにジョンはショーンの育児に専念するため、
一切の音楽活動を休止。ほぼ5年間、主夫(ハウスハズバンド)に
没頭していましたが、再び音楽活動を再開。
その復帰第1弾となったアルバムが
『ダブル・ファンタジー(Double Fantasy)』。
このアルバム発表に先駆けリリースされたのが、この曲。
♪スターティング・オーヴァー(Starting Over) /ジョン・レノン
*1980年12月27日付の全米チャートでナンバーワン。
*アルバムプロモーション中に凶弾に倒れたジョンは、
このシングル・アルバムのヒットを見ずに亡くなって
しまいました。
★この曲を含むアルバム『ダブル・ファンタジー』は全米・全英ともに
1位を獲得。
翌年のグラミー賞で「最優秀アルバム賞」にも輝いています。
♪ウーマン(Woman)
*1981年全米2位を記録。