僕は一生アンダーグラウンドかもしれない

『ムッシュかまやつKeep on Running~愉快にやろうぜ!“シ・ク・ヨ・ロ”アンソロジー』#15



2007年6月放送より


「ミュージシャンというのは色々苦労もあるのよ(笑)。好きなことをやっているようで経済的にも色々ね。だから、父(ティーブ・釜萢)は僕にミュージシャンの道を勧めなかった。それで、ちゃんと学校にも入れてくれたんだけれど、俺は勉強嫌いだったので学生時代からバンドをやり、米軍キャンプまわりなんかをしちゃったんだよね。親父にしてみればヤブヘビだと思うけど、そんなもんじゃないの、親子の関係なんていうのは」


「スパイダースというグループ名を考えたのも父でした。世界中に網を張るように、“蜘蛛の巣”みたいにってことで」


「僕はスパイダースの時に売れたんだけど、その時に父から“調子に乗るなよ”と釘を刺されましたね。“いつまであると思うな、仕事と人気”、そういう感じ(笑)。っていうか“いつもちょっと冷静でいろ”と言われていました。ブレイクしていい気になっていると、いつの間にか土台が無くなっていたりする状況を親父は見てきたんじゃないかな。人間って誰でも人生で2、3度、良い時があると思うけれど潮時もあって“引き際が大事だ”と教えてくれたような気もするね。だから、僕は一生アンダーグラウンドかもしれない(笑)」


「親父と一緒にレコーディングをしたアルバム『ファーザー&マッド・サン』(1971年録音)は、フィリップス・レコードのディレクター、本城(和治)さんがピアノを弾いてくれて、他にはアラン・メリル、ガロ、ザ・タイガースの加橋かつみ君、ミッキー・カーチス、この間(2007年3月29日)亡くなっちゃった成毛茂さんがギターで、ドラムがつのだひろ。ベースはフェイセズにいた山内哲というメンバー。もちろん、アルバムを作るためにレコーディングをしたんだけれど商業的な方向ではないよね。後になって考えると、商業的なことを考えたら、普通こんなことをやらせてくれない、当時でも。今だったら、もっと無理。だって、人のお金を使って自分の日記を書いちゃった的なアルバムですから(笑)」


*次回は7月15日(月)午前7時頃更新!


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