この世界に入ったのは自分の力です(笑)

『ムッシュかまやつKeep on Running~愉快にやろうぜ!“シ・ク・ヨ・ロ”アンソロジー』#14



2007年6月放送より

「父(ティーブ・釜萢)は(日本初のジャズ専門学校)<日本ジャズ学校>というのを1950年に設立したんだけれど、僕が音楽を始めたのはお父さんの影響ではないんだよ。だって、彼がミュージシャン(シンガー)として活動していたのは戦前だし、その頃、僕はまだ赤ちゃんだったからね」


「日本でジャズが一般的になったのは戦後です。米軍向け放送、FENがスタートして我々の家庭でも聞こえるようになり、僕も物心が付いた時から聞いていました。それが引き金となって、音楽好きになったんですよ」


「親父は終戦間近、日本軍の兵隊として中国の奥地に行き、戦争が終わって1年ぐらいしてから帰って来たんだ。だから、僕が洋楽にハマり、英語の歌を口ずさんでいたのを見てびっくりしたみたい。もちろん、その後は父の影響を少なからず受けましたね、色々と」


「<日本ジャズ学校>にも通っていました。父である先生は“かまやつ君、LとRの発音が悪い”なんて照れながら注意していたな(笑)。同級生にはミッキー・カーチスさんや平尾昌晃さんなどがいて、今考えるとタレント養成所みたいな感じだね。たまにレコード会社の人が来て、出来のいい学生がいるとどこかのバンドに引っ張っていくの。でも、俺は最後まで引っ張られなかったんだ。だから、この世界に入ったのは自分の力です(笑)」


「父のことを僕はティーブって呼んでいました。彼は幼少時代、アメリカに住んでいて、向こうの慣習通り、週に1回ぐらい、家族で外食をしていたらしい。その時、必ずレストランでTボーン・ステーキを頼むものだから、周りの大人たちから恐れられていたんだって。なんせ1番、値段が高いからね(笑)。それでTIBと呼ばれるようになり、僕もティーブと呼んでいた。外では親父と言っていたけれどね」


*次回は7月8日(月)午前7時頃更新!

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