#7『I got rhythm 音楽が生まれる時』 概要と選曲リスト

是非これを見ながら聴いてください!



今月のテーマ:「ミシェル・ルグラン:人生、音楽のように、映画のように」(第2回:ヌーヴェルヴァーグの世界)
パーソナリティ:濱田高志(アンソロジスト)


<番組のトーク・パート(概要)と選曲リスト>
― 今月は「ミシェル・ルグラン:人生、音楽のように、映画のように」と題して、ミシェル・ルグランの世界を紐解いていきます。
今回は「映画の新しい波=ヌーヴェルヴァーグ」にまつわる、ミシェルの音楽を紐解いていきます。

1950年代後半、フランス映画界に起きた、多数の新人作家による新しい潮流「ヌーヴェルヴァーグ」。
この時期にミシェルが組んだ監督の代表が、ジャン=リュック・ゴダール監督。
ミシェルとゴダールは、『女は女である』『女と男のいる舗道』『恋人のいる時間』等、オムニバスを含め7本でタッグを組んでいます。
ミシェルとゴダールは相性が良かったようで、ミシェルはメロディをゴダールに預けたら、あとはお任せしていましたが、ゴダールが仕上げた作品にすごく満足していたようです。
この時期、他にも、フランソワ・レシャンバックやアニエス・ヴァルダ、ジャック・ドゥミといった、同世代の映画監督と仕事をしており、ミシェルにとっては自身の引き出しを広げる良い機会になったようです。
アルバム制作の傍ら、1961年は11本、62年と63年は8本、64年13本の映画音楽を担当。彼のワーカーホリックぶりが伺えます。

1「La belle putain(邦題:金髪の歌姫)」Corrine Marchand
アニエス・ヴァルダが監督した映画『5時から7時までのクレオ』(61年)より。

― アニエス・ヴァルダとミシェル・ルグランは、距離を縮めたり離れたりを繰り返す、複雑な関係でした。
それは、アニエスの夫であり、ミシェルの盟友のジャック・ドゥミが関係しています。
発端は、アニエスが1991年に撮った『ジャック・ドゥミの少年期』という映画。ジャックの死の間際までカメラを向けて撮影し、ジャックの衰えた姿にフォーカスした作品で、ミシェルは友人としては耐えられなかったようです。
一方で、2003年に、ミシェルが音楽監督となって、ジャックの『ロシュフォールの恋人たち』をミュージカルにした際、アニエスは「ジャックの魂が感じられない」とミシェルに異議を申し立て、関係がうまくいかない状態がつづきました。
2013年にフランスのシネマテークで開催された、ジャック・ドゥミの仕事を総括する展覧会があり、その資料の収集作業の中で2人の関係が修復し、最終的には和解。
今年ミシェルの葬儀で、アニエスが弔辞を読みましたが、とても感動的なものでした。
その2か月後にアニエスは、ミシェルの後を追うように亡くなってしまいました。
2「Chanson d'Angela」Anna Karina
ジャン=リュック・ゴダール監督の『女は女である』(61年)の劇中歌。

3「Le Jeu Et l'Amour」Michel Legrand
ジャック・ドゥミ監督『天使の入江』(62年)の主題曲。

―ミシェルのジャックとのタッグで作られたミュージカル作品、『シェルブールの雨傘』『ロシュフォールの恋人たち』などは、後年色々な監督に影響を与えており、近年では、デミアン・チャゼル監督『ラ・ラ・ランド』にも影響を及ぼしています。

ジャック・ドゥミとミシェルは仲が良く、常にお互いの考えていることがわかる関係でした。
しかし、ミュージカル映画が廃れていくにしたがって、ジャック・ドゥミの活躍の場がなくなり、最後は映画を撮れずに絵を描いて亡くなりました。
ミシェルは、ジャックが亡くなったあとも、ジャックと一緒に作っていたような映画を作りたいと思っていて、自らミュージカル映画を監督する企画もあったが、最終的には、1970年にジャックと作った映画『ロバと王女』を舞台化するという形で夢を実現。これが最後の仕事になり、昨年11月にフランスで上演されました。この映画のサウンドトラックがミシェルの遺作となっています。

ここで、ジャック・ドゥミと組んだ作品の中から3曲。

4「La Gare(邦題:駅で)」Michel Legrand
『シェルブールの雨傘』(64年)より、駅の別れのシーンでかかった楽曲。

5『ロシュフォールの恋人たち』のリハーサル風景を録音した音声。

6「Arrivee Des Camionneurs(邦題:キャラヴァンの到着)」
『ロシュフォールの恋人たち』のオープニングで使われた曲。