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フィギュアスケートは自信が大事

MY OLYMPIC 公開録音【前編】 ゲスト:鈴木明子さん(フィギュアスケート)

◆鈴木さんの子どもの頃の話

私は、自分から色んな事をやりたいと言って、習い事を始めていないですね。
最初は1歳の時に母がスイミングスクールに連れて行ってくれたのが、スタートでした。
それ以降、水泳、ピアノ、書道、絵画、そして、スケートというのが習い事として、
毎日忙しかったです。

スケートは近所にスケートリンクがあり、たまたまサンデースケート教室があり、
日曜日に習い事がなくて、”日曜日空いてるじゃん!”みたいな感じで従姉のお姉さんと一緒にスケート教室に行ったのがきっかけで、はまりました!

最初は他の習い事もやっていました。
欲張りだったんです(笑)

フィギュアスケートは小学校1年生の時に始めて、
低学年の時は他の習い事もしていたので、学校終わりに書道へ行き、
その後にスケートに行くという生活をしていました。

◆鈴木さんにとってオリンピックとは

今は、テレビをつければフィギュアスケートの試合とかニュースでいろいろ結果をやりますが。
昔は、そこまで人気のあるスポーツではなかったんです。
小学校3年生の時、地元の豊橋のスケートリンクが閉鎖されてしまい、
そこからは名古屋へ電車で片道一時間半かけて通うようになりました。
そのあたりで自分は選手としてやっていくんだという気持ちがありました。
憧れの選手がいたわけではなくて、身近にいるお姉さんたちがクルクル回っているのを見たり、表彰台に乗るのを見て、ああなりたいと思いました。

実は、オリンピックを意識したのは中学校の終わりから高校くらいでした。
既に国際大会に出られるようになっているのになかなか自分の中でオリンピックはなかったんです。

◆鈴木さんとフィギュアスケートの出会いについて

スケートは近所にスケートリンクがあったので、スケート教室に行ったのがきっかけです。
フィギュアスケートのスケート教室ですと普通に週一回の習い事だったんですが、
フィギュアスケートのスケートクラブに入ると毎日練習なんですね。
氷の上には氷にいればいるほどうまくなるよと言われました。
氷の上で鬼ごっこでもリレーでもなんでもいいので、
氷の上にいる事でバランス感覚を養えました。
おにごっこなどで逃げて、走るという行動も身体がどんどんスケートに慣れていきました。
人間はやればやるだけ、どうしたら楽に滑れるのかと考えると思うのですが、
一回転んだらどうしたら転ばずに済むだろうって、これは感覚で身につくんですよね。
それが一番早かったかな。
日曜日には、母にお弁当を作ってもらい朝からずっとスケートリンクにいました。

◆鈴木さんが大学時代に感じたスケートの難しさとは

なかなか自分に自信がもてなくて、自分がオリンピックに行けるとは思いませんでした。
それは、もちろん荒川さんという先輩や、後輩には安藤美姫さんや浅田真央さんがいて、どんどん強い選手がでてきていたので日本で勝つのは難しいなと思っていました。
特に中学、高校時代は、フィギュアスケートは基本的に1人で滑っているので、ライバルという感覚、目の前の敵を倒すという競技ではないので、そういう事ではなく、
他の選手を見てすごく焦りが出てきました。
”あ~すごいジャンプが上手だな~。”とかあの試合ですごく良かったんだなっていうのを見ると個性は一人一人違うのに、すごく焦りを感じてしまい、これでは勝てないという事に執着していたのが大学時代でした。

◆フィギュア―スケートを通じて得たものは

フィギュアスケートは、いくら自分がやった、良くできたと思っても、点数が出ない時もあり、その時に一番結果に囚われるよりも自分がどういう演技をして、どこまで自分はやりたいのかという部分を明確にしないとなかなかこの競技はうまくいかないですね。
氷の上に立ったら、最後は誰も助けてくれないので・・・。
コーチはリンクサイドにはいますが、もうどうすることもできないので、
本番中に失敗したり、転んだり躓いたり、色々ありますけど、
そこでもうだめだと思うのか、いや、ジャンプはここを注意して、まだまだ挽回できると思うのかは、もう自分次第なんですね。
普段の練習をどれだけしていたかによって、自信が持てる競技です。
自信という言葉は本当にうまくできていますよね。
「自分を信じる」なので、人が与えてくれるものでもなくて、
自分から作らないといけないものだったんだなと最後は、そこだったなと感じました。

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