2017.7.26~ 「関西での小学生時代。”ナイロンじゃなくてビニールだから!”」

第148回 ゲストは、編集者、評論家の山田五郎さんです。 

山田さんは、1958年東京生まれ。
上智大学文学部在学中に、オーストリアの
ザルツブルク大学に1年留学されています。
卒業後は、講談社に入社。雑誌ホットドックプレスの編集長、
総合編集局担当部長などを経て、フリーになられます。
幅広い分野で執筆、講演、メディアでも活躍されています。

東京都に生まれたのち、小学校4年生で関西に引っ越されます。
当時は、関西と関東の文化は大きくことなり、戸惑うことも多かったそう。

山田「最初は、兵庫県西宮市にに居たんですよ。
   転校した時、学級委員が校内案内してくれるでしょ?
   屋上に行ったら、甲子園球場が見えるんですよ。
   そしたら学級委員の子が、
   “見てみい!あれが日本一大きい甲子園球場や!”って(笑)
   こいつ何言ってんだろうと思って」

杏子「こいつ何言ってんだろう(笑)」

山田「その口調まで覚えてる。関西は、日本一って言葉すきだよね(笑)
   しかも、その次は東洋一っていうんだよね! 世界じゃないんだよね(笑)」

当時は、大阪万博の直前であったこともあり、
関東にはなかった、”動く歩道”もありました。

山田「関西だと、”歩く歩道”っていうんだよ。歩いてんのは人間で、
   歩道じゃないって言ったら、喧嘩になったりしてね。
   でも、一番大きな喧嘩になった原因は、
   給食の時に机にひくビニールなんだよ。
   関西では、ビニールのことを “ナイロン” って言うんですよ。
   ナイロン袋とか、ナイロン当番とか。あれ、ナイロンじゃないのに!」

杏子「アハハ!でも多勢に無勢ですよね?」

山田「俺、身体ちっちゃいけど、負けてられないでしょ!
   だって、ナイロンじゃなくて、これはビニールだから!
   それで学校帰りに田んぼで大げんかになって、
   近所の人に通報されて、児童相談所に連れてかれましたね(笑)」

また、山田さんが引っ越した先は、甲子園のある西宮。
野球と勉強のレベルが高かったのだとか。

山田「当時は、運動といえば野球、勉強というと科学でさ、
   野球と科学さえやっとけば東京ではまぁまぁ良かったのよ。
   でもさ、西宮には、リトルリーグの選手の子供とかいるわけよ!
   変化球投げてて、世田谷あたりの子供とは比べものになんないのよ!」

杏子「え、でも勉強は?」

山田「大阪のが当時受験早いし、しかも西宮は灘高校があるから、
   レベルが高いんですよ!だからどっちも落ちこぼれだったんですよ。
   学校の先生の口癖が、”灘、甲陽、女学院!” “関学 六甲 付属!”
   要するに、問題のレベルを表してるんだけど、
   最初は、何の呪文だろうって思ってたね…(笑)」

杏子「それで、中学受験されたんですよね?」

山田「灘受けたの。そしたら、西宮の時の小学校の子たちと再会して
   “お前エラなったもんやな〜頑張ったな”って言われて(笑)
   で、みんな一緒に落ちて!(笑)
   しかも、俺をいじめてたヤツは、そのあと高校で一緒になった(笑)」

M1. ブライト / 福耳
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M3. Bird Of Prey / Uriah Heep