『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』第143回

気になるアーティストを50音順に、坂崎幸之助が独断と偏見で 紹介している≪坂番洋楽データファイル≫(略してSYDF) 今回は「ハ」の付くアーティスト11回目!


↑↑ ちょっと見づらいかもしれませんが
 肘部分です! 置き鍼です!

『バリー・ギブ(Barry Gibb)』
★1946年9月1日、マン島の首都ダグラス生まれ。
(マン島=グレートブリテン島とアイルランド島に囲まれた
アイリッシュ海の中央に位置する島)
ご存じ【ビー・ジーズ】のギブ兄弟の長男。
家族は7歳の時に英国マンチェスターに移り、
12歳の時(1958年)オーストラリアへ移住。そこで音楽のキャリアをスタート。
1967年に再びイギリスへ戻り【ビー・ジーズ】は、大人気グループに!
*ビー・ジーズについては「ヒ」の付くアーティストでタップリ特集します
今回は【ビー・ジーズ】の中心人物で、ソングライターや
プロデューサーとしても大成功を収めているバリー・ギブのソロ活動に注目。
ソロ作品は、正式には2枚のアルバムしかリリースされていませんが、
ソングライター、プロデューサーとしては数々のヒットを放っています。
そんな中で、彼がプロデュースしてアーティストとしても
クレジットされ大ヒットした曲があります。
「バーブラ・ストライサンド」の時にも触れた1980年発表
バーブラのアルバム『ギルティ』。からの1stシングル
「ウーマン・イン・ラヴ」(全米1位)のクレジットはバーブラ・ストライサンドだけでしたが
2ndシングルは「バーブラ・ストライサンド&バリー・ギブ」名義でリリースされています。
  ♪ギルティ(Guilty)/バーブラ・ストライサンド&バリー・ギブ
  *1981年・全米3位まで上昇。
★ちなみに、ソングライターとしては「エルヴィス・プレスリー」
「ジャニス・ジョプリン」「ディオンヌ・ワーウィック」「セリーヌ・ディオン」
「デスティニーズ・チャイルド」など100組以上アーティストたちが
彼の作った曲(主に【ビー・ジーズ】のヒット曲)をレコーディングしています。

『バリー・サドラー軍曹(S/Sgt Barry Sadler)』
★1940年11月1日、ニューメキシコ州カールズバッド生まれ。
幼い頃から音楽に興味を持ちつつも15歳の時アメリカ空軍に入隊。
17歳の時にはレーダー技師として日本にも滞在。
そして4年間の兵役を終え除隊。
1960年代に入って、今度はアメリカ陸軍に入隊し数々の難関を突破、
優秀な人材が集まる「グリーン・ベレー」の試験に合格。
1965年、二等軍曹(Staff Sergant)として派遣されたベトナム戦争で負傷。
元々、音楽好きだったバリー・サドラー軍曹は退院後、
自分で作った軍歌を発表すると全米のラジオ局を中心に大ヒット。
  ♪悲しき戦場(The Ballad Of The Green Brets)
  *1966年・全米1位。
★この曲のあと、ヒットには恵まれず文筆業を続け
1989年11月5日49歳の時、心臓発作で亡くなっています。

『ハリー・ベラフォンテ(Harry Belafonte)』
★1927年3月1日、アメリカ・ニューヨーク州ハーレム生まれ。
(父親はフランス領マルティニーク系、母親はジャマイカ系)
いくつものヒット曲がありますが、何といっても、1956年に発表され
翌1957年に日本を含む世界的な大ヒット!となったのがこの曲!
  ♪バナナ・ボート(Banana Boat(Day-O)
  *1957年・全米5位。
  *キューバ・ドリニダードの労働者が、
   バナナを船に積み込む時に歌う労働歌を元に作られた曲。
★ハリー・ベラフォンテは数々の社会活動を行なってます。
中でも有名なのは、1985年の「USA For Africa」の提唱者として、
アフリカの飢餓救済のチャリティのため、
「マイケル・ジャクソン」や「ブルース・スプリングスティーン」など
当時のスーパースター達を多数集めたことではないでしょうか。

『バリー・ホワイト(Barry White) 』
★1944年9月12日、テキサス州ガルヴェストン生まれ。
カリフォルニア州ロサンゼルス育ち。
子供の頃から母親と一緒に教会へ行きゴスペルを歌い、
独学でピアノをマスター。何と、11歳にしてレコードディング。
その後、コーラスグループ、シンガー/ソングライター、
キーボード奏者、プロデューサー、アレンジャーなどとして活躍。
そして1973年、本格的なアーティスト活動をスタート。
イントロから、超低音の語りが入る独特なディスコサウンドは
すぐに注目され次々にヒットを放ちます。
  ♪あふれる愛を(Can't Get Enough Of Your Love,Babe)
  *1974年・全米1位。
★バリー・ホワイトはソロ活動と共に、1973年自らが中心になった
40人編成のオーケストラ「ラヴ・アンリミテッド・オーケストラ」を結成。
ストリングスを主体とした、ゴージャスなアレンジで、
インストゥルメンタルの独特なディスコサウドで数々のアルバムを発表。
  ♪愛のテーマ(Love's Theme)/ラヴ・アンリミテッド・オーケストラ
  *1974年・全米1位。
  *この曲は、某航空会社のTVコマーシャルに使われました。
★続く、バリー・ホワイトのソロとしてのヒット曲は次の曲!
  ♪マイ・エヴリシング(You're The First,The Last,My Everything)
  *1975年・全米2位まで上昇。
★2003年7月4日、58歳という若さで亡くなっています。

『バリー・マクガイア(Barry McGuire)』
★1935年10月15日、オクラホマ州オクラホマシティ生まれ。
【ニュー・クリスティ・ミンストレルズ】の大ヒット「グリーン・グリーン」で
リードボーカルを担当していたのがバリー・マクガイアです。
そのバリー・マクガイアが【ニュー・クリスティ・ミンストレルズ】を
脱退後に放ったのが、次の曲でした。
  ♪明日なき世界(Eve Of Destruction)
  *1965年・全米1位
★この大ヒットから7年後、1972年からクリスチャン・ミュージックの世界へ転向しています。

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8月7日(月)21時以降となります。
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