冷めても美味いシウマイは夫婦と同じ!?

(前編) スキマなゲストに株式会社崎陽軒の社長、野並直文さんをお迎えしました。 崎陽軒の看板メニューシウマイについていろいろとお話を伺いました。 五郎さんのマニアっぷりがさく裂しました! (2017年4月11日、4月18日OA分)



今回の五郎さんは、いつも以上に興奮をされているのがよく分かる放送だったと思います。
オープニングから、「僕の幼稚園の夢がノーベル賞を取った賞金で崎陽軒のシウマイを買う事だった。」と言っていました。
結局ノーベル賞は取れなかったけど、崎陽軒のシウマイはめちゃくちゃ食べているとの事。(笑)
なんと、月に50個以上は食べているそうです。
しょこたんも「そんなにぃ????」とビックリしていました。

五郎さんは、新幹線に乗ると必ずシウマイを買い、テレビ局のお弁当でも良く出てくるそうです。
しょこたんも、テレビ局のお弁当では多いと言っていました。

ここで、五郎さんが社長に何故、シュウマイではなくシウマイというのか伺いました。



これはネット上でもいろんな説が出ていますが、社長曰く、初代社長が栃木県出身でなまっていて、シーマイシーマイって言っていた事と中国語でシャオマイというので、この二つに一番近いシウマイになったそうです。

なまり説と中国説の両方が正しかったわけですね。

崎陽軒はもともと駅弁を作っていて、幕の内弁当やサンドイッチを作っていたそうなのですが、お弁当を販売していた横浜駅が通過駅でしかなく、なかなかお弁当が売れないという事で、シウマイを売り始めたのがきっかけだったそうです。
ただシウマイを売り出したのは、昭和3年ですが、シウマイ弁当ができたのは昭和29年だったそうです。

しかもシウマイが売れるようになったのは戦後で、売れるきっかけになったのはシウマイ娘の存在でした。
当時は、新幹線もなく長距離列車が在来線の横を走っていたそうなんですが、横浜駅にも止まっていたので、乗客が窓を開けてお弁当を買っていたそうです。
販売員はおかもちを下げて売っていたんですが、当時の崎陽軒の社長が若い女性店員に赤い制服着させて、シウマイ娘と書かれたタスキをかけ、バスケットにシウマイを詰めて、男性販売員と一緒にシウマイを売らせたそうです。
それが評判になり、シウマイ娘が新聞の連載小説「やっさもっさ」に登場し、その小説が映画化され、全国で大ヒットしたそうです。
当時は、テレビがなかったので、映画でヒットするのはものすごい宣伝効果があり、横浜と言えばシウマイを売っているシウマイ娘という事で、全国的にシウマイが知れ渡ったとの事でした。

五郎さんも「俺が子供の頃、まだシウマイ娘がいた。」と言っていました。

このシウマイを入れている真空パックは、崎陽軒が開発した独自商品で、遠方の方でも買って帰れるようになったそうです。
また、冷めても美味いシウマイの秘訣は豚肉と貝柱が要因だと社長が教えてくれました。



ここで社長が結婚式向けのスピーチネタを一つ披露してくれました。

社長はいつも結婚式のスピーチで、新郎新婦に「崎陽軒のシウマイみたいな夫婦になってください。」と伝えているそうです。
冷めても美味い!
「新婚当初はアツアツでも、時間が経つと冷めてくる、でも崎陽軒のシウマイは、豚肉と帆立貝がそれぞれ別々の場所で育ったものが混ざり合い美味しくブレンドされています。
夫婦も全く違う環境で育ち一緒になるので、非常に似ているんです。」との事。

五郎さん「いただきました。」
しょこたん「パクりたい。」(笑)
社長「オリジナルなので、色んな方に使ってくださいと伝えています。」

(後編へつづく)