【熊本地震から1年】崩落した阿蘇大橋前の食堂ご主人が見た現実とは?

中西哲生と高橋万里恵がパーソナリティをつとめるTOKYO FMの番組「クロノス」の中で、熊本地震で被災された方の心と体のケアを目指しお送りしている「LOVE&HOPE~ヒューマン・ケア・プロジェクト~」。 このコーナーでは熊本地震から1年がたった今、一歩ずつではありますが着実に復興に向け歩み始めている南阿蘇村・阿蘇市の様子を1週間に渡ってお届けします。4月17日(月)の放送では、地震で崩落した阿蘇大橋の目の前でごはん処「まるでん」を経営していた増田一正さんに話を伺いました。

南阿蘇村で生まれ育った増田さんは、一時大阪に就職したものの26歳でUターン。その後6年前、34歳で独立し、阿蘇大橋のすぐそばに赤い屋根が目印の「まるでん」をオープンしました。
人気のメニューは煮込んだ赤牛のカレーと赤牛の特徴が出ている部位“ランイチ”がワンプレートになった「赤牛ステーキカレー」。その他、さまざまな料理で地元の人はもちろん、観光客や近隣の東海大学の学生など多くの人に愛されていました。しかし、熊本地震でお店は崩壊。当時、地元の方のために夜の営業に向けて、店内を改装したばかりだったとか。
現在もお店の目の前の地面は割れたまま。この1年の間にさらに地割れは進み、いつ崩れてもおかしくない状況で、同じ場所で「まるでん」を再開させる見通しは全く立っていないそうです。

そんな増田さんが熊本地震・本震の際にいたのはお店のすぐそばにある自宅でした。その大きな揺れを振り返り、「寝ていて、違うベッドで起きましたね。それぐらい下から突き上げられました」と話す増田さんですが、2階建ての自宅は右半分が全て崩れてしまったそうです。
一緒に二階にいた娘さんと奥さんはなんとか下に降りることができましたが、そのときおばあさんは一階に。しかし、家は崩れてしまったものの、おばあさんはちょうどこたつとベッドの隙間にはさまり、九死に一生を得たそうです。
そして地震の直後、地元の消防団をつとめていた増田さんはまわりの地区の安否確認を行うとともに、救助も手伝い、何人もの人を救出しました。ただ、まわりを見渡せば40軒足らずの集落のうち30軒程度が全壊。増田さんのおばさんも残念ながら亡くなってしまったと言います。
夜中に地震があり、寝通しで救助にあたっていた増田さんですが、朝方まわりから“阿蘇大橋が落ちた”と聞いて「まさか……」と思ったそうです。その後、14時過ぎにようやく作業も一段落してお店に向かったそうですが、道路はめちゃくちゃ。車など使えるわけがなく、徒歩で向かってみるとまわりにあった学生のアパートや下宿もほとんどがつぶれている状態。そして、いざ阿蘇大橋まで辿り着くと、橋が落ちているその姿に唖然とし「その当時のことはあまり覚えていない」とか……。
地震直後には多くのテレビで報道されていた阿蘇大橋の様子を今も覚えているという中西は、復興に向けて歩みを進める南阿蘇村に思いを馳せていました。