気になるアーティストを50音順に、坂崎幸之助が独断と偏見で
紹介している≪坂番洋楽データファイル≫(略してSYDF)
今回は「ニ」の付くアーティスト3回目です。
↑ 待望のOTONA RANDSEL!似合いますでしょうか?
でも“大人”だけあって、縦笛とか算盤はさせそうにありません。。。
『ニュー・ヴォードヴィル・バンド(The New Vaudeville Band)』
★1966年、イギリスのソングライターで、
プロデューサーのジェフ・スティーヴンスが
スタジオミュージシャン達と作ったグループ。
ジェフ・スティーヴンスが作った1920年~30年代の
英国・ミュージックホールスタイルの曲がいきなり大ヒット!
TVやラジオ、雑誌の取材、ライヴのため急遽
スタジオミュージシャンを集め「ニュー・ヴォードヴィル・バンド」
という名前の架空グループを立ち上げました。
この話題となった曲は本国・全英チャート4位、
全米チャートでは3週連続のナンバーワンを獲得。
♪ウィンチェスターの鐘(Winchester Cathedral)
*1966年・全1位。
*この曲は「最優秀ロックンロールレコード」を受賞
★このグループの設立メンバー、ジェフ・スティーヴンスは、
ソングライターとして、
フライング・マシーンの「笑って!ローズマリーちゃん」や
キャロル・ダグラスの「恋の診断書」等のヒット曲を作っています。
『ニュー・シューズ(Nu Shooz)』
★1979年、アメリカ・オレゴン州ポートランドで結成された
「ジョン・スミス&ヴァレリー・デイ夫婦」が中心になって結成した
ダンスポップユニット。
最初は12人という大所帯でスタートし、その後7人組へ。
1982年レコードデビュー。1986年に発表した2ndアルバム
『プールサイド』からの1stシングルが地元ポートランドの
ラジオステーションでヘヴィローテーションされ
全米で大ヒットを記録。
♪アイ・キャント・ウエイト(I CanT Wait)
*1986年・全米3位。
『ニルヴァーナ(Nirvana)』
★1987年、アメリカ・ワシントン州アバディーンで
カート・コバーンを中心に結成された3人組。
1980年代後半に注目されたグランジシーンで「ニルヴァーナ」は
注目バンドとして1989年インディーズデビュー。
翌1990年、ゲフィンレコードが契約。
1991年リリースのアルバム『ネヴァーマインド(NEVERMIND) 』は
全米アルバムチャートで見事1位。
♪スメルズ・ライク・ティーン・スピリット(Smells Like Teen Spirit)
*アルバム『NEVERMIND』からのシングル。
*1991年・年末にチャートイン。翌1992年・全米6位まで上昇。
*『NEVERMIND』は全世界で4000万枚以上のセールスを記録。
『ニール・セダカ(Neil Sedaka)』
★1939年3月13日、ニューヨーク州ブルックリン生まれ、
ポピュラー音楽界を代表するシンガーソングライター。
子供の頃からピアノをはじめ、高校時代には友達と
「トーケンズ」を結成。
但し、ニールは「ライオンは寝ている」がヒットする前に脱退、
プロの音楽家の登竜門ともいうべきジュリアード音楽院へ進学。
最初はソングライターとしてスタート、
1958年、当時大人気の女性アイドル:コニー・フランシスに
提供した「間抜けなキューピッド(Stupid Cupid)」が全米14位まで上昇、
ヒットしたことで注目を集め、
RCAビクターとシンガーソングライターとして契約。
そしてデビュー曲「恋の日記(the Diary)」が全米14位を記録する大ヒット。
その後、次々にシングルヒットを飛ばし
ポール・アンカと並ぶ男性トップアイドルとなります。
♪おお!キャロル(Oh! Carol)
*1959年・全米9位を記録
*ガールフレンドだったキャロル・キングに捧げた曲。
★この「おお!キャロル」のカップリングとして急遽作られたのが
「恋の片道切符(One Way Ticket)」という曲。
この曲は忙しかったニール・セダカにかわって職業作家の
ハンク・ハンターとジャック・ケラーの2人が、
当時のヒット曲のタイトルを散りばめて作っています。
日本では「これがB面じゃ、もったいない!」と、レコード会社が
日本独自のシングルとしてリリース。
歌詞の分かりやすさと哀愁に満ちたメロディ&
ニール・セダカの独特のボーカルで大ヒットを記録しました。
♪恋の片道切符(One Way Ticket)
*日本では平尾昌晃さんのカバー共々大ヒット!
★この後も、全世界で大ヒットする曲を発表し続けます。
♪カレンダー・ガール(Calendar Girl)
*1961年・全米4位まで上昇。
♪悲しき慕情(Breaking Up Is Hard To Do)
*1962年・初の全米1位。
*1975年にアレンジを変えセルフカバーしたバージョンも大ヒット。
♪雨に微笑みを(Laughter In The Rain)
*翌1975年・全米1位。「悲しき慕情」に続く2曲目の全米ナンバーワン。