今回は”「信長公のおもてなし」が息づく戦国城下町・岐阜”、信長公居館跡 (のぶながこう きょかんあと)を紹介しました。
標高329m。金華山の山頂にある岐阜城・天守閣から見える360度、
パノラマの絶景で客人たちに“極上の”おもてなしをした、とされる織田信長は、実は城だけでなく、岐阜城のふもと一帯も最高のおもてなし空間として
プロデュースしていた、ということが分かってきました。
現在も進められている発掘調査から、
信長公が住んでいたとされる館は、立派な庭園と客室を備えた
迎賓館(げいひんかん)だった、というのです。
発掘の結果、数々出てきたのが金箔のついた瓦。
金箔瓦を屋根に使ったのは歴史上、この館が初めてとされています。
館に来た人はその豪華さにさぞかし、心奪われた事でしょう。
■また、調査を進めていくうちに、信長は館の豪華さで驚かせるだけでなく、
金華山の地形を利用して、中国の山水画を再現したような
幻想的な庭園を作っていた事が分かりました。
■また、信長は、料理のおもてなしにも趣向を凝らしています。
内陸地であるにも関わらず、メニューにアワビなどの海の幸を出したり、
高級料理だった焼き鳥を、庭にいる鳥をしめてその場で出した事もあったそうです。
デザートには、美濃特産の干し柿。
砂糖のない時代、この干し柿は最高級の甘味物でした。
そして、召し使いではなく、信長自らが、その豪華な料理を運んでくる、という意外性。
まさにおもてなしのフルコースですね。
■この信長公居館跡(のぶながこう きょかんあと)。
現在、発掘作業中ではありますが、館の入口や一部石垣部分を見学することが出来ます。
今後、この地上の楽園が、復元されていくのが待ち遠しいですね。
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