2016.08.03〜 「テニス選手時代のスランプの脱出方法とは」

第97回 ゲストは、スポーツキャスターの杉山愛さんです。

1975年生まれ、神奈川県出身。
15歳で日本人初の世界ジュニアランキングで1位に輝き
17歳でプロに転向。
WTA世界ランキング自己最高は、シングルス8位、
ダブルスでは日本人選手初の1位。
グランドスラムのシングルス連続出場62回となり、
女子の世界記録を樹立!
引退後は、スポーツキャスターとして活躍されています。

両親がテニスを遊びでやっていた事で、
4歳の時にはラケットを持っていたそう。
「実はもう、この時いろんなスポーツやってて。
 体操教室行ったり、フィギュアスケートやったり!
 クラシックバレエも水泳も。
 中でも楽しかったのがテニスでした」
7歳の時には、テニスのみに絞り、
テニスアカデミーに通うようになったそう。

15歳でジュニアランキング1位を獲得した杉山さんは、
14歳から海外遠征をし、優勝していく生活だったとか。
「アジアでは敵なしになった時はあったものの、
 グランドスラムのジュニア部門に行くと、
 そこでは優勝できなくて、世界の強さも経験していきました」
一般のプロとして戦う同年代の選手達の姿も見ていくことで、
まだまだ上を目指そう、と思うことにもなっていったそう。
グランドスラムのシングルス連続出場62回という記録は、
体への投資・トレーニングの結果です、と杉山さん。

25歳の時スランプになり、お母様がコーチになります。
「母は相談できるプロデューサーだったんですけど、
 親子だからこそ、甘えもあったり、言いすぎたり、
 でも、親子じゃなくて
 今振り返ると、9割9分コーチと選手の関係でした。」

スランプだった状態の杉山さんは、
お母様の言葉に救われて選手を続けられたそう。
「スランプで本当に辞めたいと思った時に母に相談したら、
 ”本当にやるべき事、全部やりきったの?”と聞かれて。
 そこでやりきろう、と思えても、何をどうスタートすればいいのか
 まったく見えなくて、母に何したらいいか見える?って聞いたら、
 ”見えるわよ”って1言だけ言われて!」

現役を引退した後、”見えたモノ”について聞いたそうで、、、
「あまりにも”私らしさ”を欠いていたみたいで、
 それを取り戻すためにはどうしたらいいかは、”見えるわよ”
 という事だったみたいです。私が私らしく居られたら、
 どんどんテニスも戻ってくる、と母は思ってたみたいです」
その後、スピードや頭脳など小柄な杉山さんならではの武器で
世界で戦われるようになっていかれました。


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