<METALLICA/METALLICA>1991年

METALLICA、5作目にして初のセルフタイトルアルバム『メタリカ』。 真っ黒のアルバムジャケットから、一般的には:ブラックアルバム、といわれていますね。

1991年のリリース直後から、セールスが大爆発!アメリカをはじめ、世界中のチャートでナンバー1を記録して、
結果的には、2000万枚以上を売り上げた、まさにモンスターアルバムとなりました。

素晴らしい耳とセンスを持ったエンジニア兼プロデューサーのボブ・ロックと作りあげた音世界は、まさにヘヴィ・ロックの革命!
本当に壁のようなギターのディストーションサウンド。そして、トリガーで正確で均一なグルーヴを刻むドラムサウンド。
まさに、1990年代流行したドンシャリなメタルサウンドですよね。
ローと、ハイが大きい、独特な音。
CDが普及したことで、アナログ盤のように、針が飛ぶことやノイズを心配することがない。
ということで、こういった極端なサウンドが可能になったわけです。

さて、METALLICAの結成は1981年。もともとは、サンフランシスコのインディーズメタルバンドでした。
テーマは、とにかく早いBPMで、高速のリフで、過激なロックをやること!
当時、アメリカ各地から、そういったインディーズバンドがいくつも出てきたことで、
そういったシーンを“スラッシュ・メタル”と呼ぶようになりました。
スラッシュとは、“ムチを打つ”という意味です。まぁ、それくらい激しい、ということでしょう。
一般的には、ヘヴィ・メタルとハードコアを足したようなサウンドという定義になっています。

アンスラックス、メタリカ、スレイヤー、メタリカをクビになったデイブ・ムステインが結成したメガデス、などがスラッシュメタル四天王といわれていました。
とはいえ、1980年代前半は、そういった音楽は“ただのマニアのためのアングラミュージック”でした。
まさか、数年後に天下を取るなんて、誰も想像もできませんでした。

ただ、その後“メタルブーム”が到来します。

QUIET RIOTがシーンを切り裂いて、その後、MOTLEY CRUE、RATT、DOKKEN、BON JOVI、DEF LEPPARD、AEROSMITHなどなど、
多くのバンドがチャートの上位を独占するようになります。
その流れにのって、あくまでマイノリティだったスラッシュメタルも脚光を浴びるようになります。

METALLICAは、そういったジャンルの旗手として、様々なロックイベント、ツアーにも参加。認知度をあげていきます。
1984年にはメジャーレーベルから、アルバム『Ride The Lightning』をリリース。
1986年には名作アルバム『Master Of Puppets』をリリースして、ゴールドディスクを獲得するなど、確実にビッグ・バンドに成長!

そんな中、バンドのグルーヴの核だったベーシストのクリフ・バートンがツアーバスの交通事故で死亡。
ジェイムス、ラーズ、カーク、クリフという4人の素晴らしい集合体が崩壊して、バンドは次の段階に進みます。
新ベーシストは、ジェイソン・ニューステッド。やる気満々のジェイソンを見るにつけ、前任のクリフの天才的なプレイを思い出して葛藤するメンバーは、
図らずも、新メンバーのジェイソンに辛く当たって(とにかくいじめて)しまいます。

アルバム『メタル・ジャスティス』には、ジェイソンのベースプレイを録音したにも関わらず、一切完成品には入れない!というほどに
陰湿で酷いことが行われたんですね。結果的に、アルバム『メタル・ジャスティス』はベースの音が聞こえない!という
信じられない作品に仕上がってしまいました。ただ、ソングライトのクオリティは作品ごとに格段にアップ。
『メタル・ジャスティス』でも、“One”という楽曲で、何とグラミー賞を獲得するなど、METALLICAは、同期のバンドから頭ヒトツ抜けた存在になり始めていました。

そして、この『ブラック・アルバム』の制作です。

メンバー内でのイザコザは一旦おいて置いて、
本当に歴史を変える名作を作ろう!と一致団結した彼らは、
エンジニアとプロデューサーに、エアロスミスやモトリー・クルー、BON JOVIの大ヒットアルバムを手がけた天才:BOB ROCKを起用。

ドキュメント映像で見ても、コッチがドキドキしてしまうような
緊張感溢れるレコーディングを9ヶ月間やり抜いて、ヘヴィ・ロックの革命ともいえる名作『ブラック・アルバム』をリリースします。

ラジオやMTVを意識した分かりやすい音作りでありながら、とにかくヘヴィで、モダンで、そしてキャッチー。
それまでのスピード重視の作風から、グルーヴを重視した作風に変化させて、新規のファンを大量に獲得しました。
そして、それまで重きを置いていなかった“歌”にも徹底的にこだわって、素晴らしく歌心のある作品に仕上げました。

この奇跡のアルバムは、はじめに言ったとおり、1991年のリリース直後から、セールスが大爆発!
アメリカをはじめ、世界中のチャートでナンバー1を記録して、結果的には、2000万枚を売り上げる、という、まさにモンスターアルバムとなりました。

1990年代のヘヴィ・メタルの全ての指針、となったこのアルバム。

しかし、これ以降のバンドが皆、このアルバムに追従して、シーンはつまらないフォロワーバンドだらけに。
そして、このアルバムを誰も、本人でさえも越えられなかったことで、ヘヴィ・メタル/スラッシュメタルのムーブメントは、あっという間に消えてしまいました。

ブラック・アルバムは、90年代メタルシーンの“最高傑作”であり、そしてまた、
図らずもメタルシーンを闇に突き落とした、“暗黒”のアルバムでもあったわけです。

プロデューサー 増田博長 

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