東日本大震災の発生から間もなく5年の月日が経とうとしている。
言葉にすれば簡単だが、時間にすれば「5年」は相当な年月。
現にこの5年で様々な事が変わっていったように思う。
5年前のあの時、僕は東京の半蔵門にいて地震に遭った。
ちょうどYAJIKITAの会議中で、JFNの3階にある会議室にいた。
スタッフに配る資料を出力しに2階の事務所に降りた、その時。
2011年3月11日14時46分。
これまで沢山の町を歩いてきたが、その中でも多いのは女川町だ。
YAJIKITA時代から数えると、女川を訪れるのは今回で4回目。
不思議な縁に誘われるようにして、
この町との結びつきが出来、友人が出来た。
「お帰りなさい」と迎えてくれる人がいて、「ただいま!」と言える場所が出来た。
5年の年月の中で、この町の変化も見て来た。
その変化の一つに「鉄道」の存在がある。
僕らは今回初めて電車に乗って女川へと向かった。
JR石巻線 午前9:33 石巻発ー女川行。
終点が『浦宿』ではなく『女川』。この文字を見るのも、初めてのことだった。
昨年の3月21日、JR石巻線がようやく全線開通した。4年をかけて、少しずつ。
その最後の区間が浦宿から女川の2.3kmだった。
井門「なんだか感慨深いね…。去年来た時はまだ電車が開通してなくて。
いつも石巻からは車でしか行けなかったんだもんなぁ。」
佐々木「そうですね。あっ、ほらこっちの席からの方が海がよく見えますよ。」
車窓から眺める外の景色。風はとても強く吹いているが、その風向きは追い風だ。
そして電車はいよいよ浦宿から女川へ。
最後のトンネルを抜けると、あの独特の形をした『女川駅』が見えてくる。
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