第77回





ゲストは、秦 基博さん。
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今回は、生まれ育ちの
お話からスタート。




秦さんは、生まれは宮崎県日南市、そして8歳からは横浜で育ちました。
実は幼稚園生以降は真ん丸とした体型で、少しコンプレックスだったそう!
「小学校4年生ぐらいで野球始めて、運動ができるようになってきて。
 6年生で一気に身長が165センチくらいまで伸びて!
 体重と身長のバランスが良くなってきましたね(笑)」と秦さん。
その後、中学ではバスケ部に入部されます。

ギターを始めたのは、中学1年生のとき。
「兄貴が持ってきたギターが家にあって。
 そこで、コードとかひたすら覚えて、ミスチル、エレカシをコピーして。
 曲は、同時期に書き始めるようになりました。」
中学1年生で最初に作った曲は、ラブソングで、歌い出しは”愛する人よ”!

高校ではバスケ部に仮入部したものの、厳しさに打ちのめされ、
軽音楽部へ入部してしまった、秦さん。
「振り返ってみると、そこが大きかったです。
 コピーバンドを組んで、ギターボーカルで。」
さらに、男子高校だったため、
日頃話す異性が母親だけになるという状況になっていったそうで。
「女の子と何話したらいいか分かんなくなって。
 いざ文化祭で軽音楽部を見に来てた女子高生に声かけられても、
 “ああ。ありがとうございます” しか言えなくて、、、
 角曲がったところで歯ぎしりする、っていうね、、、(笑)」
この男子校時代があったからこそ、
今の秦さんの楽曲があるののかもしれません!


その後、秦さんは法政大学に進学直前から、
ライブハウスにオリジナル楽曲だけでライブをするように。
「友人がライブハウスでバイトしていて、
 月1で弾き語りの日があるから出ない?って言われて。」
その後、たまたま下北沢でライブしていた時に、
別のアーティストを見ていた事務所の方が、秦さんを発見!
「その当時、インディーズのCDを買って帰ってくれたんですよ。
 しかも、このライブ、横浜で出てたライブハウスの人の紹介で、
 急に出てたんですよね。そんで、年の暮れに偉い人達がライブハウスに(笑)」
こうして事務所の方々に見初められた秦さんは、
翌年の夏には、オーガスタキャンプのオープニングアクトに出演し、
11月にデビュー。今年でデビュー10年目になりました。



M1. Q & A (Live at 青森三内丸山遺跡) / 秦基博
M2. 水彩の月 / 秦基博
M3. 嘘 / 秦基博