第71回


今週からのゲストは、
競泳の萩原智子さん。

はぎともの愛称でお馴染み!
2000年のシドニーオリンピックで、
200m背泳ぎ4位、
200m個人メドレー8位と、
2種目で入賞されています。



初めまして、から始まった今回の収録。
180センチという高身長な萩原さんに驚く杏子!
「小学校時代は、本当暗黒の時代ですよ、6年生で170センチで。
 ランドセル入らないし、男子からは、
 山梨県だったから富士山とか、電柱とか言われて、、、(笑)」

高身長をコンプレックスに思ってた萩原さんは、
小学校2年生の時、和歌山県の南紀白浜で溺れたことをきっかけに
すぐに水泳のスクールへと通うことに。
「溺れてたのに笑ってた父から、一生懸命に泳いでると思った、って言われて
 それが本当に悔しかったんですよ!泳げるようになろうと決心しました」
そこから萩原さんは、あっという間に飛び級をし、半年後には選手コースにまで成長!


最初の大会は、甲府市の学童の試合で、今では苦手な平泳ぎで出場し6位入賞。
「6位だったのにメダルいただいて、すごい嬉しくて!
 家に帰っても、ご飯食べる時も、ずーっとかけてました(笑)」
その後も様々な大会に出場されていましたが、
高身長であることがコンプレックスで自分に自信が持てなかったそう。
「でも、小学校6年のときに、バルセロナオリンピックがあって、
 岩崎恭子さんが14歳で金メダルを取ったんですよ。
 それを見て、憧れるようになって、オリンピックが夢になって。
 日本代表とか、トップを目指す覚悟ができました」と萩原さん。


初めての海外遠征は、中学2年生。オーストラリアだったそう。
同世代の仲間ができ、さらには4秒も自己ベストを更新して、
嬉しかったのを覚えているのだとか。
その後も調子が良かったことで、どんどんタイムが縮まり、
なんと、日本中学新記録まで叩き出してしまいます。


「でも、そんなことになると、中学3年生女の子は、
 反抗期になって、天狗になります(笑)」
アトランタ五輪が翌年、高校1年生で迎えるということもあり、
まわりもチヤホヤし、反抗期に拍車がかかってしまったそう。
「家では反抗しないんですが、コーチにすごい反抗して。
 調子に乗って集中して泳がなかったり、周りが見えなくなったんです。
 練習しなきゃ記録出ないのに、それが分からない時代で、、、(笑)」
結局アトランタ五輪は選考会で落ち、出場はかないませんでした。


反抗期の終わりは、お母様がきっかけ。
「コーチに1回帰れ!って言われて、
ラッキーとか言って、スキップして家に帰ったんですよ。
 家に帰ったら、母がそれを聞いて激怒して!!
 玄関から練習用のカバンも靴も投げ捨てて、私も外に出され、鍵閉められ、、、
 謝ってきなさいって怒鳴られて、泣きながらコーチに謝りに行きました(笑)」


M1. YAMABIKO / Nakamura Emi
M2. Twisting By The Pool / Dire Straits
M3. Swim Dream / Ludvig Moon